2020年10月16日

母、86歳、イタリアへ移住する〈秋の山暮らし〉⑫ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈vita autunnale in montagna〉




冬は、糸紡ぎや編物、機織りをして過ごすことが多く、夏のあいだに育った和棉を糸にするのがここ数年の楽しみのひとつ。

和棉紡ぎとの出会いは東京の用賀にあった東京コットン・ヴィレッジというジャズ・クラブ。マイ・ボトルならぬマイ・スピンドル(糸紡ぎの独楽)をお店に据え置き、仕事帰りのサラリーマンがジャズを聴きながら独楽を回す姿がシュールというか、可愛いというか。

原毛の糸紡ぎや機織りも好きだけれど、こちらは羊を飼うところから始めるのはちょっと無理。和棉なら種から育てるのもありかも、ということで、ローマで和棉を栽培することになった。最初の年はベランダで鉢植え栽培、でも、それでは埒が明かないほど少量なので、自家菜園をしている山の友だちに頼んでみた。快諾!2017年の暮れに最後の収穫の綿をどっさりといただいた。



2017年から2019年の暮れまで、いろいろとあって手つかずだったが、母の移住手続きが終わってほっとした段階で、まずは、栽培してくれた山の友だちに紡いだ糸で手織りの布を作ることに。これは、写真の木製フレームに5ミリ間隔で交互に釘を打ちつけて自分で作った機織り機で一本一本糸を通して織るという気の遠くなるような作業。でも、彼らは、それでは足りないくらいの労力と思いを注いで育ててくれたので、感謝の意も込めて、クリスマスにもなんとか間に合った。




コロナ禍のロックダウンを利用して残りの綿を糸にする作業は、母もきっと手伝ってくれるだろうと期待していたが、「よくそんな面倒なことできるわね」とあっさり😢 仕方なくひとりでせっせと紡いで、なにを作ろうか迷った末、ショールに。




母は、移住してからずっと編物に専念し、リビングの食卓の定位置で来る日も来る日もセーターを編み続けた。編物は母にとってのセラピー。制作意欲も衰えることはなく、雑誌をながめてあれこれ迷ったりして楽しんでいる。

最近は、小さな文字で書かれた製図が読みにくいらしく、大きく書き写してテーブルの前に置いてあげる。ときには、手が勝手に動いてしまうのか、間違ったまま編み進んでしまって、解いては編みなおす、その繰り返し。達成感というのを味合わせてあげたいので、完成することが大前提なのだけれど・・・時間はたっぷりあるので、慌てず急がず、ゆっくりまったり。



上の写真は母が編んだふわっふわのとっくりセーター。ちなみに、いまは頑張って次男のVネックのベストを編んでいます。わたしは、アフガン編みにハマっています。



↓和棉についての過去日記

種から布まで、土の温もりを感じながら農的時間を過ごす豊かさ

寒い冬はコットンを紡いで過ごします




2020年10月9日

母、86歳、イタリアへ移住する〈秋の山暮らし〉⑪ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈vita autunnale in montagna〉




夏のあいだだけというつもりの山暮らしが10月いっぱいに延期になったのは、ローマのコロナ事情で外出の多い息子たちとの接触を避けるため。夫とわたしも危険年齢ゾーンだし母も高齢(87歳)なので、リスク・マネージメントを最大限拡張することになった。昨今の温暖化で10月もまだ暖かいに違いないと高を括っていたけれど、標高700mの古家は足もとから深々と冷え込む。

さすがに屋外の温泉プールは打ち切りとなり、10月は栗拾いがメインテーマとなった。そもそも、この山はほとんどが栗林、行けども行けども栗ばかり。ところが、ここ10年ほどは害虫が蔓延って(チニピデ・ガリージェノという中国来の虫=蛾の一種で、日本から輸入された栗木から伝染していったといわれる)栗の実はひとつもできなかった。それが、今年は、晴れて駆除に成功、町中に活気が戻ってきた。


我が家も一片の栗畑があることはあるが、管理は従弟に任せてあって、結婚30年来一度も足を踏み入れたことがなかった。栗拾いに憑りつかれてしまった母、車道や空地に落ちている栗はほとんどが拾われ尽くしてしまったし、親類や友だちは連日収穫で忙しく(外国人労働者の減少で人手が足りない)遊び半分でわたしたちがお邪魔するわけにもいかない。そこで、従弟に聞いて我が家の土地で栗を拾うことになった。


栗は、時期によって落ちる種類が違うが、その日はブーシュという大粒のマロン種がたくさん落ちていた。土地一面のイガイガを見たら、やめられないとまらない母。両手にいっぱいになるまで腰をかがめたまま拾い続ける。「真直ぐに立てなくなっちゃうよ」と言っても聞く耳持たず、ただひたすら拾う母。ひとつも残したくないという勢い。

そのブーシュは、大味で形が崩れやすいので、ここでは茹でて潰して「カスタニャッチョ」というお菓子にするのが主流なのだそう。これは、トスカーナのレシピとは違って、栗粉に溶かしたチョコレートと砂糖、ラム酒を和えて捏ねた、いわばチョコ栗きんとん。

大きく(1粒40グラムほど)て形も綺麗なブーシュを粉にするなんて、なんてもったいないこと!しかも、マロングラッセ用に需要があるので卸価格も他の種類より高い。それを粉にするなんて…。

そんなごく自然ないきさつで、ド素人のわたしがマロングラッセに挑戦することになった。ところが、マロングラッセというのは、これまた手間のかかる一品で、栗にもよるのでしょうが、一週間くらいかかってしまう。なんちゃってマロングラッセなら3日くらいでできるけれど、あの独特のもっちりしっとり感はない。

ちなみに、マロングラッセの起源は、フランス説もあればイタリア説もあって、本当のところは不明。ピエモンテの栗の産地クネオで16世紀にサヴォイア王朝の男爵カルロ・エマヌエレのために作られたという説は、1790年に出版された『Confetturiere Piemontese』という書物にレシピが記されていることから有力とされるが、16世紀のリヨンが起源というフランス説もある。

いろいろなレシピで試行錯誤を続けながら、台所には常時シロップ漬けの栗の鍋が2つという、我が家では前代未聞の光景。まったく栗を煮ないレシピもあれば、先に火を通してから砂糖漬けにするもの、分量もマチマチで、栗の種類とおそらくは水とか火加減、砂糖の量、すべてを調整しながらという、コレという決め手がないというのがこのお菓子のレシピなのかも知れない(調理というのは往々にしてそういうもの・・)

ハードルが高すぎるとも思うけれど、栗の産地であるここのジモティたちに試食してもらいながらシロップ鍋とのおつきあい、「10月もまだここにいるの?」と不満気だった自分に異変が起きている!


10月のこの町の目玉といえば栗フェス(Sagra di Castagne)、今年は、生憎コロナで中止だが、来年はきっと収束して開催されるに違いない。もし、このマロングラッセがうまくいったら、友だちのブースで出させてもらったりして?そんな楽しみがちらつき始めたらやる気も出るというもの。

10月もここで過ごすのは、たぶん、おもしろい。