今年の10月は朝から晩までショパン三昧だった。これまではファイナルから聴き始めていたけれど、今回は初日からすべて、ローマの音楽通の友人とチャットでつながりながら、文字通りすべての参加者の演奏をくまなく聴いた。
その毎日につきあっていたのが母で、さほど興味はなさそうではあったけれど、他にすることもなし、じっと我慢の子みたいな感じ。果て、いったい母はクラシック音楽は好きなのだろうか?わたしの下手なピアノを聴かされるのも、もしかしたらうんざりしているのかも・・・。
ともあれ、本心は語らない人なので、あえて追求はしない。
ある日、その母の腕に青あざがあるのを発見、どこかでひとりで転倒したのか、うっすら血も滲んでいた。聞いても覚えていないという返事。その後、腰が痛いと言い始め、鎮痛薬でようすみをしていたら、ちょこちょこと転倒を繰り返し、思うように歩けなくなったことに精神的なダメージを受け、これまで見たことのない形相で泣き叫んだりしてパニックに陥る。医者に安定剤をもらって一時落ち着いたものの、これ以上山の家にいるのも良くないと思いローマに帰ることに。
母は依然腰の痛みは取れず、歩行器と車椅子を使って数日はやり過ごしていたが、ある晩、ベッドに横たわったまま1ミリも動けない状態に陥ってしまった。あたふたしてしまったのは家族の方で、とりあえずはレントゲンのデリバリー検査を依頼、救急搬送すべきか迷ったあげく、ホームドクターの見解で整形外科医の往診を依頼。1ミリも動かせない状態でいちばん困ったのは、食べること、飲むこと、排せつ。搬送に使う大型のシートを購入して、背中を曲げないようにずらしたり、起き上がらせたり、介助士の大変さを痛感した。
このとき、母の口から驚くべき真実が吐露され、6年間もよく黙っていたものだとその強固さにびっくりした。わたしたちのことや、過去のすべて、忘れた振りをしていただけで、なにもかもお芝居だったのだ。パニックに陥り泣き叫んだ母、イタリアに来て6年間ずっと我慢していたがとうとう鏨が外れた。
痛みのせいもあるけれど、体力が低下して、もう駄目なんじゃないかと思うほど弱り切っていた母、腎不全による赤血球低下の問題も抱えていて、そのためには保健所の腎臓内科の特別な薬の処方箋が必要だった(民間の医者では処方できず、薬局でも入手できない)保健所の予約センターに電話をかけてみるもののローマでは4月まで空きがないとのこと。諦めずに電話をかけ続けたら、その週のうちに空きができ、即、車椅子に乗せて診察に向かう。こんなときも往診サービスはなく、動けない患者はあきらめるしかないのかと不条理を感じるばかり。幸い、その日のうちに処方してもらい、すぐに薬を入手、注射など初めてだったけれど、わたしが打つことに・・。その薬のおかげが大きいのだと思う。赤血球が上昇して、みるみるうちに食欲も出て、元気になってきた。
もうひとつの問題は床ずれによる褥瘡が足の踵にできてしまったこと。床ずれ防止にエア・マットレスを購入したものの、母の体重では軽すぎてガサガサして落ち着いて眠れない。メモリー・フォームのマットレスを敷いて反発をなくしたのが良かった。けれども、踵の褥瘡は進行していて、専門医に連れていき手入れをしてもらい、毎晩クリームを塗ってケアすることになった。
看病疲れのわたしにとって唯一の気分転換だったのは、ローマに戻って通い始めたヨガ教室。精神的にもかなり助けになったと思う。近所のシニア・カルチャー・センターで30年くらいヨガ教室に通っているという先輩たちの親切なこと。温かく迎え入れてもらって本当に嬉しかった(現在進行中)
そんなわけで、この冬は母の看病づくしの日々だったけれど、すっと立ち上がって歩けるようになってから少しずつもと通りの生活に戻っていった。
今回の母の寝たきり生活から学んだことは今後にもおおいに役立つはずだ。周囲にはそんな経験を持つひとたちばかり、だれもが通る道なのだと思う。

























