母の検査のためローマの病院をあちこち駆けずり回っていた4月、右脚が動かなくなるほど痛み出した。鎮痛剤と湿布薬でやり過ごそうと思っていたが改善せず、レントゲンを撮って整形外科を訪れた。股関節手術は必須とのこと。数年前から問題はあったものの腰痛なども関係していそうでそこまでは考えていなかった。対処療法、保存療法でまだ当分はもつだろうと思っていたのだ。ところが今回の痛みははるかに度を越えていた。
母の入院が重なり、毎日の面会、先行きが見えない状況への不安など精神的なストレスが拍車をかけ、痛みで眠れなくなるほどになってしまった。
そんなとき、母の面会の帰り、エレベーターでひとりのドクターと女性患者と乗り合わせ、ドクターが3階で降りたとき、「あの方がドクターLですよ、ご存じですか?」と女性が話しかけてきた。家に帰ってさっそく調べてみると彼こそが人工膝・股関節手術の権威だった!さっそくドクターLの診察を直接オンラインで予約した。もちろん実費!
ドクターLの診療室は母の病室のちょうど上にあった。緊急ではないにしろやはり手術は免れないとのこと、ウェイティングリストに入れてもらうことになった。母の進捗状態の見通しも悪く、とりあえず夏以降に連絡をもらうことになった。母が回復して帰宅すれば、わたしはこの痛みを引き摺りながら看病を続け、手術ももっと先送りになったのかも知れない。が、5月の最後の週から母は病状が悪化し帰らぬひととなった。
夏のあいだ、山の家で母を偲びながら穏やかな日々を送りつつ、それまで立ちはだかっていた大きな壁が崩れて新地になっていくのを実感した。脚の痛みも嘘のようになくなっていった。本当に手術する必要があるのだろうか、と疑いたくなるほどに。自然と気の置けない仲間たち(お達者クラブと呼んでいる)、美味しい食べもの、そして、ピアノ三昧の日々。母はいなかったが思い出が満ちていた。
病院が8月の休暇に入る前、さっそく連絡があった。9月のスケジュールに組み込むとのこと。まだ残暑が厳しそうなローマ、できることなら遅めが良い。入院前検査を28日にしてもらった。怪我や感染症は絶対に禁物の股関節手術だ。ヘパーデン結節という指の関節炎のせいか爪の生え際が一か所凹んでおり、たまに炎症を起こすことがあるので、消毒を欠かさなかった。
9月28日の朝、入院前検査に赴く。午前中かけて検査と受診があり、あとは電話連絡を待つのみとなった。二週間くらい先を見込んでいたら、11月29日に入院、翌日30日に手術とのこと。小型のキャリーケースに入院に必要な着替えやタオルを準備した。病院の指示では、スリッポンの運動靴と楽な運動着、パジャマ、そして、スタンペッレ・カナデージと呼ばれる肘で支えるタイプの松葉杖も持参とのこと。
手術の数日前からお酒やタバコは控え、食事も軽いものに、消毒液を使ってシャワーをする(股関節手術では皮膚の殺菌は重要)などの指示があった。念には念をと、数日前から消毒液を使ってシャワーを開始した(AIによれば前夜と当日の朝で十分だったが・・・)。
いちばんの懸念事項といえば手術後の排泄、すぐには歩けないだろうから寝たままということになろうけれど、そのあたりの説明はない。ただ、帰宅時には便座補助器を準備しておくようにとあった。座ったときに股関節が膝より低い位置にならないように15センチ高くする必要がある。椅子もソファも高めにする。
いよいよ入院日、病室に通される。二人部屋だ。同室の女性は肩の手術で、入院日にさっそく手術、モルヒネを処方されるほどの痛々しさ。入院中3人の女性が入れ替わったが、3人とも肩の手術だった。
わたしはその日は下剤による腸内洗浄のみ、のんびりと寛いだ。翌日のスケジュールを知らされないままに朝を迎えると、6時半に看護師がグリーンのサージカルガウンを持って来て、あなたが朝いちばんですと、いきなり。殺菌シャワーをして全裸にサージカルガウンをまとい、ベッドの中で待機。冷却器で切開箇所を数十分冷やしてから車椅子で手術室へと連れて行かれる。
麻酔医に執刀医はだれなのか確認するとドクターLとのこと。いつのまにか鎮静薬を打たれ、目が覚めたのはトンカチの音でだった。局所麻酔だったので手術中の音が聞こえて来たのだ。数人のスタッフが動き回っている、話声も聞こえる、突然、間違えた、すぐに上に行け、とかなんとか騒ぐようすもよくわかった。
オペ室は冷え切っていたのだろう、わたしは温熱送風機を胸元に抱えさせられていた。しばらくして手の甲をポンポンとたたかれ、終わったよ、とひと言。ドクターLだった。
いったい、どんなタイプの手術だったのか、どれくらい切開したのか、なにも知らないまますべてが執り行われた。ミニ・インヴァジヴァ・テクニックという最小切開には違いなかったが、どこをどれくらい切るのかは、まったく知らされていなかった。伝統的なやり方だと後方臀部を大きく切開するのが特徴、執刀医にはよく見えてやりやすいアプローチとなるが、出血が多く、術後の回復が大きく遅れる。わたしはサイド、安堵する。
レントゲンを撮って病室に運ばれる。冷却装置で再び切口を冷やす。麻酔が効いているあいだは楽だったが、次第に痛みを感じ始める。看護師の連携は適格であらゆるフォローも怠らなかった。術日は麻酔の関係で絶食、尿が出たかどうか頻繁に聞かれた。
夫と次男が12時に面会に来てくれた。長男とは夕方にビデオ電話で話をした。こうして家族と話ができるのがいちばん嬉しかった。親戚や友だちからの多くの励ましのメッセージや電話も連日絶えることがなかった。窓から外を見ると、鮮明な太くて大きな虹がかかっていた。母が見守ってくれているような気がした。
その日の午後、すでに理学療養士が来てベッドから起こされ、立ってみるように指導された。眩暈もなく順調だ。
術翌日はオムツを外して下着とパジャマを履かされ、リハビリの準備。ということは、トイレも自力で行かねばならぬということか?パレッタ(差し込み式便器)という手もあったが、できれば避けたい。
歩行器を使い、ゆっくりと廊下に出て端まで歩いて戻る。まずまずの出来だった。その次の日の朝は松葉杖。どんどん歩いて鍛えろ、的な、スパルタ式の厳しい訓練。ほとんどのひとが熱心に歩く練習をしていたので、自分も意気が上がる。歩行器を使ってのトイレ練習もなんとか自力でできるようになった。
土曜日は病院は休みなので臨時のスタッフが来ていた。偶然にも母の最期を看取って遺品を霊安室に運んでくれた女性だった。一か月の入院中、母の面倒をよく見てくれたひとだった。見守られている、という感じがますます強くなった。
術2日後、昼食の後で再び冷却器セラピーが始まった。食後、たいして運動もしておらず、膨満感のまま横になっていたので胸やけがしていた。そんなとき、看護師が排便のための下剤シロップを持って来て、ほぼ強制的に飲まされた。効けばすっきり排便できるはず。ところが、部屋に戻ると、気分が悪くなり、嘔吐寸前、下剤が急に効き始めたようだった。お腹が痛み始め、痛い脚を引き摺りながら歩行器でのトイレ、それが数回起こり、ついには急性下痢のような症状に。体力の消耗が激しかった。横になってもすぐにもよおし、何度も何度も駆けつける。夕方まで8回ほど駆け込んだだろう。脚もお尻も痛い。完全に疲れ果ててしまった。
特別なケアもなく、看護師の言い訳がましい説明にも腹が立った。排便のない患者は退院させられない規則になっているので、下剤を飲ませる。それでも効かない場合は浣腸をするのだと。この脚の状態でトイレに何度も駆け込ませるのは危険ではないか、というと、汚してもいいのだという返答、ベッドや衣類、床、すべてが糞まみれになって、さらには感染症を起こしたらどうしてくれよう?転んで傷口が開くこともなきにしもあらず。看護師は下痢止めをひとつ持ってきて逃げるように立ち去っていった。その夜はまだ下痢が続いていて数えたら12回にもなっていた!
夜間の看護師が来てはじめて適切な処置がなされた。鎮痛剤も抗炎症剤も流れてしまって効かないので点滴を打ってもらうことになった。微熱ながらも発熱もあったのだ。その看護師の懇切なフォローのおかげで翌朝には回復した。
術3日後、月曜日の朝には退院とのことだったので、そのつもりでいたら、下痢のエピソードも考慮してか、翌日に延期された。やれやれ、である。血液検査も異常なく、空腹も感じたので次男に塩おにぎりを持って来てもらった。こんなときは梅干しにお粥が欲しい、やはり自分は日本人だと思う瞬間。そもそも、日本人の胃腸は西洋人とは別物、個人差もあるだろうが、もう少し配慮できないものか?胃腸過敏症で日常的にも膨満感のあるわたしにとっては恐怖の下剤体験だった。そのおかげでトイレ訓練は見事にクリアできたのだが。
術4日後、火曜日の朝、いよいよ退院の運びとなった。退院書類にサインをして薬局で薬をもらい、迎えに来ていた夫と次男と車で帰宅。カナデーゼの松葉杖で歩いて病院を出る。雨が降らなくて良かった。
あとは、病院と連携しているヴィラ・サンドラというリハビリセンターからの連絡を待つのみだが、そのあいだも家での日常的なリハビリは推奨されている。
薬は以下のものが処方された。
Tachipirina, Targin 痛み止め
Celebrex 抗炎症剤
Omeprazolo 胃腸薬
Inhixa 血栓予防剤
術後18日目に切開部分の検査、40日目にドクターLの診察、それまではリハビリセンターが主体となって指導してくれることになっている。
来月には家族全員の引越しという大移動も待っている。人生の大きな節目となった今年(母の逝去、股関節手術、新居引越)、新しい生活への第一歩を新しい股関節で無事に踏み出せますように!!!







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