コロナ禍の先行きがはっきりしないまま迎えた新年、イスラエルや英米がワクチン接種を進めていくなか、イタリアでもその効果には大いに期待が向けられ、3月は80歳以上の予約が始まった。そして、母もご多分に漏れず接種を受けることに。幸い、なんの副反応もなく無事に終えることができた。
そんな3月は母の誕生月でもあり、家族で米寿を祝った。稲穂のごとく、人生の豊かさの重みにおのずと首を垂れる、黄金のオーラ・・そんな節目を迎えた母だった。
八重桜のころに生まれた母を今年こそはお花見に連れ出したかった。外出規制が緩和したころ、ちょうど蕾がほころび始め、近くの桜を愛でることができた。日本の桜とは趣が違うものの、イタリアでもお花見を楽しむ人が多いことに歓喜する母。
ワクチン接種を終え、それまで控えていた歯科医へも。単なる定期健診のつもりが思いのほか状態が悪くて大がかりなことになってしまったが、それもなんとか乗り越えた。「歯をいじったんだから少しくらい痛くても当たり前」と痛み止めも飲まなかった母(*数本抜いています)、もうすっかり快復して食事を満喫している。
認知症の検査では、たとえ不可抗力だったとはいえ、この年齢で移住を決意し、習慣も言語も違う異国で生活することじたい(その精神的な負担を思えば)称賛に値するとドクターに褒められ、自信を持つ母。
母の生活態度が大きく変化したのは、わたしの結婚から出産・子育てのビデオをひととおり観てからだと思う。自分がわたしたち家族とどのように関わっていたのかすっかり忘れてしまっていた母、遠い思い出が一気に蘇り、それまであった隔たりがなくなった。
実は、しばらくのあいだ写真やビデオを遠ざけていたのだ。こちらの生活に早く慣れるようにと思ってのことだった。
6月に入ると気温が一向に下がらなくなり、熱波に覆われたローマから逃げ出すように山へと移動した。暑さのせいで浮腫んでいた母の足は、山に来たその日にすぐに良くなった。
今年も山暮らしが始まった。温泉プールで泳ぐことを心待ちにしていた母、秋には大好きな栗拾いもある。なにもかも乗り越えて生きてゆく母にエール。