2024年7月3日

35年ぶりのペストゥム遺跡

 



この夏の遺跡巡りはなにはともあれペストゥム!母を連れて行くなら熱波が来る前が好ましいということで6月末日、交通渋滞の少ない日曜日に決まった。ちなみに昨年のポンペイ遺跡も6月末だったが猛暑に見舞われてしまった。



山の家から高速でサレルノまで2時間、そこから国道で1時間あまり、この時期は海方面は少なからず混雑しており、山の家があるカンパーニャ州の北端からペストゥムまで3時間ほどの道のりだった。

思ったより観光客は少なく、遺跡前の駐車場もガラ空き、車椅子の母と付き添いのわたしは無料で友だちと夫の3人のみ入場料(15€)を支払う。幸い海風が心地よく、ときどき木陰で暑さを凌ぎながら遺跡内を散策。


南イタリアは紀元前8世紀ごろからギリシャ人による植民地がたくさん建設され、そのひとつシバリの植民地(アカイア人=ヘラ女神信仰、富と贅沢、快楽主義)によって紀元前6世紀初頭に築かれたのが当時ポセイドニアと呼ばれていたこのペストゥム。

◆ ヘラ神殿1号(バジリカ)  紀元前6世紀半ば ドーリア式柱 9x18本 54.5x20.5m 

  内神殿は二廊 ヘラとゼウスが祀られていたとも

◆ ヘラ神殿2号(ポセイドン) 紀元前5世紀半ば ドーリア式柱 6x14本 60x24m

  内神殿は三廊

◆ アテネ神殿 紀元前6世紀末 ドーリア式柱 6x13本 33x14m 内部の柱はイオニア式

アテネのパルテノン神殿とほぼ同時代に築かれたものだが保存状態も良好。さすがに神殿づくりのエキスパート、ギリシャ人の技術力は素晴らしく、地中海でこれだけのスケールで残っているのはペストゥムくらいかと…










実はペストウムを訪れるのは今回で2度目。35年前仕事で日本から食品専門誌の新聞記者2人、イタリア料理のシェフ2人(日本では草分け的な存在)に同行したときに来たことがある。あのミッションはジェノヴァのBIBEという食品の展示会の取材で、その一環として、フラスカーティのワイナリー、サレルノの「アントニオ・アマート(パスタ)」とペストゥムの「チリオ(缶詰トマト)」も訪れた。日本にイタリア製品を紹介し広めるのが目的でアントニオ・アマートもチリオもイタリアの代表的な食品メーカーだった。時差ぼけのなか通訳をしなければならず、眠くて死にそうだったのを思い出す。シェフたちはイタリア語に精通しているし、記者さんたちも言葉なしでもなんとなくわかっちゃうという、そんな優しいオジサン方に助けられながらの楽しい旅だったことしか覚えていない(笑)

サレルノの「チリオ」を訪問したとき缶詰づくりのシーズンは終わっていて、見学するものもなく、ペストゥムの神殿前のリストランテ「Nettuno 」にランチに連れてきていただくことになった。当時のわたしはこれが2千6百年前のギリシャ神殿とは露知らず…「リストランテの庭に凄いものがあるぞ~!」くらいの認識だった。

そのリストランテ、35年前と変わらずそこにあったけれど、営業は夜のみということで入ることができなかった。不思議なことに、この遺跡内に「チリオの工場跡」というのがあり、国がその土地を買い受けて発掘調査を始めるとその下には紀元前5世紀からヴィーナスの神殿があったことがわかっている。35年前に訪れたチリオの工場がどこにあったのか覚えていないけれど、きっと遺跡の近くだったのだろうと思う。

フォロ・ロマーノ、アンフィテアトロ(道路の建設で半分に折半されてしまった)、テルメ、クリア、カピトリウムなどローマ時代の遺跡は、ギリシャ神殿とは対照的に、ローマ帝国が衰退し造船のための行き過ぎた森林伐採が地盤沈下を引き起こして湿地化、マラリアが流行し廃墟となる運命をたどった。そして遺跡の石材は北方からのノルマン人によってサレルノのドゥオーモなどの建設に利用された。

特筆すべきは考古学博物館に収蔵されている1968年6月に発掘された「飛び込む人(ダイバー)の墓」(Tomba del Tuffatore)だろう。石棺の内側に描かれたフレスコ画が紀元前4~5世紀のギリシャ人の生活風景(男性同士の饗宴=シンポジウム 寝そべってワインを飲んだり音楽を聞いたり、コットボスと呼ばれるワイン投げ遊びなど、平和で優雅な生活がうかがわれる)を物語っている。中でも上蓋の内側に描かれている飛び込む人の姿はあの世へ旅立つ死者のメタファーと言われていて、当時のギリシャ人の死生観、永遠の魂の存在や肉体からの解放を信じ始め(キリスト教の前身)たのだと解釈される。






そして、もうひとつ興味深かったのは紀元前5世紀のブロンズ製の壺。その中に神さまへのお供え物と思しき食品(蜂蜜、あるいは木の実や果実を潰して得られるいまでいうヌテッラのようなもの)が見つかっており、発見当時は柔らかかったのだとか。車中ちょうど手作りヌテッラの話をしていたのでタイムリーなこと極まりない。

遺跡巡りとセットで楽しみなのはご当地の食事。今回は神殿が見える「シンポジウム」というリストランテ。実は、ペストゥムから20kmほど北にあるバッテイパリア周辺はモッツアレラの産地として有名。ということで、モッツアレラをいただくことに。250gのまん丸のチーズは地元の(こちらも産地)とは少し違ってまろやかで甘味があり、ジューシーというよりは固め。病みつきになりそうな味だ。プリモは魚介のパッケリ、魚介のソースは味がしっかりしていてパスタの茹で具合もピタッとちょうど良い。デザートはオレンジケーキ、ふつう(笑)


次回はミノーリのサル・デ・リーゾのスフレを食べに行こうということになった。マヨルカ陶器の町ヴィエトリを散策し、車を置いてフェリーでミノーリに渡ってサル・デ・リーゾのレモン・スフレをいただく!