2024年11月14日

紅葉の秋、セピーノ遺跡(モリ―セ州)を訪ねる

 

この山から行く今年最後の遺跡はモリ―セ州のセピーノ遺跡(SAEPINUM-ATILIA-SEPINO)。


カンパーニャ州最北端のここROCCAMONFINAからだと間に2000m級のマテーセの山々が立ちはだかるのでイセルニアを迂回して南下しなければならない。一時間半ほどの道のり、国道17号から87号へと移行してしばらく走ると右手に小さくて見落としそうな遺跡の標示。駐車場の向こうにそれっぽい門(タマロ門)があった。

セピーノ遺跡を知っている人は少ないが、ここは、なかなかどうして、国内の保存状態の良いローマ遺跡としてはかなり上位にある。ちなみに1位はポンペイ、2位はエルコラーノ、3位はオスティア・アンティカ。


テラヴェッキアの城壁と門
先住民サム二ウム人はテラヴェッキア(現在のセピーノの北西、標高953mの山頂にあり、広さは1500平米、巨石を積んだ二重の城壁は内側が高く造られておりあいだに3mの通路があった。紀元前4世紀ごろに建設)に城塞の町を築いていたがローマとの戦いに敗れて城塞を捨て、残存者はタマロ川流域の農業や牧畜に適した平地アルティリアに移る。しかし、ローマとの3度目の戦いによって完全に滅ぼされてしまう。

ローマはアルティリアに避暑地としてだけではなく交通や経済の要としての街を築く。アウグストの時代からティベリウスとドゥルーソの時代に主な建造物が完成されるが、全長1200mにおよぶ外壁は圧巻、2千年の歳月を感じさせないみずみずしさがある。

全長1200mの石壁


マウゾレオ(お墓)














サム二ウム人の時代からトランスマンツァ(夏は涼しいアブルッツォへ冬は暖かいプーリアへ移牧する)の通過点として利用されていた場所だが、ローマの支配下で羊の群れや製品、人々の通行を保護するための休憩所、関所、管理センターが強化された。羊道として使われていた遺跡の東西を結ぶデクマーノは当時のまま残っている。

入口は東西南北にひとつずつあり、そのうちのひとつボイヤーノ門がデクマーノの入口。ここが関所で門の両端には手足を縛られ木の幹に縛り付けられたドイツ戦士(敗戦奴隷か?)の彫像が掲げてある。関所破りへの見せしめだろうか管理体制の厳しさがうかがえる。

ボイヤーノ門










デクマーノ(羊道)

工業地区と称される一画には当時の水車がそのまま置かれていて(風化するのではないかと心配になる)壁の外にある貯水槽から水を引いていたようすがまるで最近のことのよう。水車の周りは食糧倉庫、市場、洗濯屋、羊毛業の工業スペースになっている。

ローマ時代の水車


グリフォンの噴水

食糧保存用の堀瓶


市場

バジリカ






移牧民の住居跡は博物館











澄んだ空気に包まれた静寂の遺跡構内はフォリアージュが見事で落葉の絨毯の上を歩きながら季節の移ろいを堪能した。






遺跡訪問の後はお決まりのご当地ランチ。車ですぐのところにあるセピーノへ移動。中世の歴史地区はサンタ・クリスティーナ教会のある広場から崖を下りるように発達しておりそこから絶景が広がる。

セピーノの山からの眺望




お目当てのリストランテは洞窟をイメージしたお洒落な内装。スパークリング・ワインとスターターのおもてなしを受け、地元の子羊料理をいただくことに。お店のひとたちは本当に親切でサービスが行き届いていた。






子羊のロースト、チーズ詰め

ポークのトマト煮

フルーツのタルトレット


先入観かも知れないけれどモリ―セはいつも好印象でしかない。人々が穏やかで親切なのは自然の厳しさの裏返しのような気がしてならない。