2021年10月13日

4か月の硫黄温泉プールとファンゴセラピー




ローマから車で2時間ほどのところに休火山を中心に広がる州立自然公園がある。標高700メートルほどの山は栗林に覆われていて夏はとても過ごしやすい。定年退職した夫と母と3人、ローマが猛暑に見舞われ始める6月半ばごろから山暮らしを始める。ここはミネラルウォーター「フェラレッレ」の源泉地、近くには硫黄の温泉もあり、火山の恵みを大いに受けていて、しかも、わたしたちの町はその火山のカルデラの内側にある。上空からの写真でみるととても不思議な風景なのだ。ちなみに、この火山はそこから流れ出た溶岩に人類最古のホモサピエンス(ハイデルベルゲンシス)の父子の足跡が見つかったことでも知られている。

2019年暮れにイタリアに移住した母にとって今年は二度目の夏。いくらコロナのワクチン接種を受けたからといってまだ安心できない。グリーンパスポートを携えての旅行は先送り、健康のために硫黄の温泉プールに通うことにした。泳ぐのが大好きな母も異論はなく、週に3回のペースで、ときには親戚や里帰りの友だちも加わって、この夏の社交の場はもっぱら温泉プールだった。

なんといっても嬉しいのは、去年はコロナで閉店していたプール施設内のリストランテがリニューアルされていて、しかも洗練されたグルメ、ガラス張りの向こうは自然公園の緑が広がる絶景。こうして、午前中は温泉プール、ランチはここ、というパターンが4か月で40回以上も続いた。

その温泉プールも10月に入ると気温が下がって温水から出たときのギャップに耐えられなくなり、10日ごろには断念。その代わりにファンゴセラピーを始めることにした。ちなみに、母は高血圧なので残念ながらファンゴはお休み。

夫もわたしも関節炎を患っていて、しかもわたしは骨粗鬆症(ファンゴが骨粗鬆症に効くとは知らなかった!)冬が来る前に天然のお薬だと思って2週間(12日間)受けることにした。イタリアではオルタナティブ医療としてこのテルメ療法が広く一般に利用されている。保険適用で3割ほどの値段(12回で55€、安い!)、もっとテルメを!


施術は早朝7時から始まっているけれど、わたしたちは8時半にブッキング、待合の廊下はすぐにいっぱいになる。大型バスで近隣の町から団体さんがやってくるし、宿泊客も後を絶たない。

水着になってビニールシートで覆われたベッドに横たわる。搾採された熱々の泥(塗布するのは42度くらい)をファンギーナさん(ファンゴを塗ってくれる女性の施術者)が運んでくる。背中から肩、手、膝、足先にふんだんに塗られ、ビニールシートにくるまれ、その上に毛布をしっかりミノムシ状態。20分ほど蒸らしてシャワーで洗い流す。

ずっと「ファンゴなんて」と侮っていた夫も医者の友人の説得で気が変わったようだ。関節炎が悪くなればいずれ薬に頼らなければならなくなる。天然の泥が体内のコルチゾールを刺激して自治力が高まれば・・いやいや、やって悪いわけがないのだ、ファンゴは。しかも、ホテルに宿泊する必要もなく家から通えるロケーション、こんなにありがたいことはない。

イタリアの温泉地を調べてみたら、ざっと152ヵ所ほどあって(もっとありそう)、高齢化社会には人気のスポット。わたしたち、来年もしっかりリピートしそうです。

ファンゴセラピーの効能について:https://www.abano.it/Terme_Salute/Fango/fango_fa_bene.aspx

イタリアの温泉地:http://www.benessere.com/terme/italia/index.html




2021年9月12日

アランが好きなわけ ①






以前からちょこちょこ編んではいたものの、このコロナ禍のロックダウン(外出規制でお家時間が増えた)を機にアランにここまではまるとは思わなかった。複雑な模様が出来上がったときの達成感も去ることながら、その模様が生まれた背景や歴史も魅力的。いつか、発祥の地アイルランドのアラン諸島を訪れたいと思っている。

色はやはり定番の乳白色に落ち着いてしまう。糸は太目より細目の方が編み上がりがふわっとして着心地は良いけれど、本来のアランは太目の糸でしっかり目を積んで厚みを出すのが目的。海の男たちの防寒用なのだ。

いろんな模様にチャレンジしながらまだまだ続きそう。

次男のスキー用セーターはシンプルな縄編み

前立てのハニカム(蜂の巣)模様

コロコロ玉編みがしてみたくて

ボタンをつける前のカーディガンは裾と袖口が特徴

ガンジー模様

細目の糸で編んだラグラン袖

コットンで編んだガンジー模様のサマーアラン

あまった毛糸でマフラー

菱形が特徴のガンジー模様

裾、衿、袖口を輪編みにしたヴィンテージ風

2021年9月11日

母、88歳のイタリア生活 ③ Mamma, 88 anni, si gode la vita all'italiana

 



ウィズ・コロナ2度目の夏、母にとっても2度目のイタリアの夏になる。

ローマから山の家に移って3ケ月、週3回のペースの硫黄温泉プールとランチの半日コースは9月に入ったいまでも続いている。硫黄の即効的効能には驚くばかり、母もわたしもスベスベ肌だが真っ黒に日焼けしてしまった。

8月になると、ワクチン接種証明「グリーン・パス」でいろいろなことが可能になった。周りではプチ旅行に出かけるひとも増え、わたしもどこかに行きたいとは思ったけれど、夫は根が生えたように山から動かないし(これは、今に始まったことではなく、コロナだからということでもない。結婚以来ずーっとこんな調子)、唯一の楽しみの息子との旅行も今年も実現せず、彼はグリーン・パスを手にシチリアの友だちのところにさっさと行ってしまった。ひたすらプール通いで憂さ晴らし。贅沢!

夏の楽しみのひとつはここへ里帰りする友だちとの再会、久しぶりにプールで合流した。スイスイ泳ぐ母を横目に話題はおのずと介護のことに。とはいっても、母は、まだらプチ呆けはあるものの、身の回りのことは自分でできるので、介護というより付き添い・手助けくらいかも知れない。

心理学者の彼女によると「介護鬱」になるひとの悩み相談が多いのだという。「お年寄りの住む世界はわたしたちの理屈とは違うの、こちらの期待どおりになると思わないこと」と諭された。彼女だから話せたこともたくさんあって、気持ちが軽くなった。

久しぶりに会った従妹と温泉につかりながら話したのもやはり介護のことだった。数年面倒をみたお義母さんは認知症を患っていた。悲しいかな、いちばんお世話してくれている嫁がだれだかわからなくなり、ロシアから来たお手伝いさんだと思っていたそうだ。

「そんなときも決して否定してはいけないの」と満面の笑みで答える従妹。悲しみや憤りもあっただろうに、彼女の強さが垣間見えた瞬間だった。始終愚痴をこぼすじぶんはなんて小さな人間なのだろうと猛省。

硫黄の水と光のなかでまったりと過ごす時間に身体と心が癒された。

ローマからそう遠くないこの山も、温暖化とコロナの影響でひとが増えたような気がする。B&Bが続々とオープンし、これまで救急だけだった保健所もちゃんとしたのができるらしい。町のジェラート屋さんはリニューアルしてケーキ屋としても充実(←この夏いちばん嬉しかったこと)、そのお向かいに日用品のチャイニーズ・スーパーマーケットもオープンする。町の小売店はあまり良い顔をしていないけれど、ビジネスはビジネス、競争社会なのだから仕方がない。今でこそアマゾンで調達できるようになったものの30年前のここにはモノがなくて、特に日用品は「いまいち」なものばかりで困ったものだ。わたしは、内心楽しみにしている。

栗山の村では秋の収穫の予想でもちきりだ。どうやら、この春の悪天候のせいで今年の初ものは実りが悪いらしい。少し後になって生るナポレターノとブッシュという種類も去年ほど収穫はなさそうだ。マロングラッセ作り、どうなることやら。栗の木を眺めながら「また拾いに行かなあかんね」とつぶやく母。

賑やかな夏が終わり、秋から冬へと移ろうころになると、圧倒的な山の重圧感に圧し潰されそうになる。この山で生まれたわけではないじぶん、もはや根なし草のじぶん、「世界の果てにいる」という感覚だ。いつも適当にやり過ごし、そうこうしているうちに夏が終わって下山してしまう。でも、どうだ、今ここには「へその緒ルーツ」の母がいるではないか。奇跡だ!

ときどき、母はだれなのだろうと思うことがある。なぜイタリアに来たのか、なぜここにいるのか。よく第二の人生、第三の人生と言うけれど、今ここで、母は何番目の人生を送っているのだろう。









2021年7月10日

母、88歳のイタリア生活 ② Mamma, 88 anni, si gode la vita all'italiana





灼熱のローマからこの山へ移動したのは6月のなかごろ。かつてのように「山だから涼しい」はもう成り立たなくなっていて、ここでも強烈な熱波に見舞われる。階下の薄暗くじめっとした共同玄関のホールには空家となっているお隣さんの物置があり、どうやらそこで大量発生しているパパタチという蚊の一種(日本でいうサシチョウバエ)が家のなかにも侵入し、母も刺されて酷い状態に。「蚊には蚊取り線香」とさっそく玄関口にセット。プールの後のお昼寝どき、おやつのスイカの香りとお線香の匂いに、遠いむかしの日本の夏、キンチョーの夏を思い出す。

硫黄の温泉プールも週に3回くらいのペースで通い始める。コロナ禍で閉業中だった併設のリストランテがリニューアルし、冷房の効いたガラス張りのお洒落な雰囲気と前方に源泉火山を見渡すロケーション、それに腕前抜群のシェフのお料理が気に入って、湯治の後はここでお昼ご飯、というパターンが定着する。


このところのアフリカ熱波でプールの水温も上がり気味、ノボセてしまいそうだが、88歳の母はひとり水の中へと泳ぎ出す。「大丈夫かなあ・・」広いプールを何周か泳いで満足気に戻ってくると、プールサイドの朝カフェが待ち遠しい母、クロスタータ(日替わりジャムのタルト)とカプチーノでサクッと決める。





硫黄の効能か日光浴のせいか、真黒の肌はツルツル、スベスベ、老い知らずの母は、これといったアレルギーもなければ胃腸も丈夫、強いていうなら心臓がちょっと、でも、ドクターは普通です、と。

変わったことといえば先々月「総入歯」にしたことかも。これまでは差歯に部分入歯をひっかけていたのだけれど、歯医者に診せたら「OMG!」、もう差歯の体力が限界に来ていてこれ以上は無理!迷うことなくすべて抜歯することに。

問題は食事です!二週間ほど流動食を作り、赤ちゃんの離乳食のような塩梅で少しずつ固めに。歯のないあいだというのは、鏡に映る自分の顔から受ける打撃から急に精神的に老いぼれてしまって、周囲も少なからずそれにつられてしまって、映像の刷り込みというのは恐ろしい。それからひと月もすると、あれはいったいだれだったのか、と思うほど。

いまでは母のライフラインとなったイタリー製の入歯、ケースをハンカチに包んで常に持ち歩き、「夜中だれかに盗られるとあかんからね」と洗面所から寝床に持ち運ぶ(いったいだれが入歯を持っていくのか!?)命より大切なもの。でも、これだけは、実際に経験してみないとわからない。そのうち、自分も母と同じ運命をたどるのだろう、いまの歯の状態からも察しがつく。

明日のEURO2020(サッカーのヨーロッパ・カップ)の決勝戦が終われば、この村にもまた平穏で静かな日々が戻って来そうだ。村の集会所では屋外にパブリック・ビューイングが設置され、花火も準備されている。FORZA ITALIA!

㊟ プールの写真は施設のサイトからお借りしています。









2021年6月20日

母、88歳のイタリア生活 ① Mamma, 88 anni, si gode la vita all'italiana


 

コロナ禍の先行きがはっきりしないまま迎えた新年、イスラエルや英米がワクチン接種を進めていくなか、イタリアでもその効果には大いに期待が向けられ、3月は80歳以上の予約が始まった。そして、母もご多分に漏れず接種を受けることに。幸い、なんの副反応もなく無事に終えることができた。

そんな3月は母の誕生月でもあり、家族で米寿を祝った。稲穂のごとく、人生の豊かさの重みにおのずと首を垂れる、黄金のオーラ・・そんな節目を迎えた母だった。

八重桜のころに生まれた母を今年こそはお花見に連れ出したかった。外出規制が緩和したころ、ちょうど蕾がほころび始め、近くの桜を愛でることができた。日本の桜とは趣が違うものの、イタリアでもお花見を楽しむ人が多いことに歓喜する母。

ワクチン接種を終え、それまで控えていた歯科医へも。単なる定期健診のつもりが思いのほか状態が悪くて大がかりなことになってしまったが、それもなんとか乗り越えた。「歯をいじったんだから少しくらい痛くても当たり前」と痛み止めも飲まなかった母(*数本抜いています)、もうすっかり快復して食事を満喫している。

認知症の検査では、たとえ不可抗力だったとはいえ、この年齢で移住を決意し、習慣も言語も違う異国で生活することじたい(その精神的な負担を思えば)称賛に値するとドクターに褒められ、自信を持つ母。

母の生活態度が大きく変化したのは、わたしの結婚から出産・子育てのビデオをひととおり観てからだと思う。自分がわたしたち家族とどのように関わっていたのかすっかり忘れてしまっていた母、遠い思い出が一気に蘇り、それまであった隔たりがなくなった。

実は、しばらくのあいだ写真やビデオを遠ざけていたのだ。こちらの生活に早く慣れるようにと思ってのことだった。

6月に入ると気温が一向に下がらなくなり、熱波に覆われたローマから逃げ出すように山へと移動した。暑さのせいで浮腫んでいた母の足は、山に来たその日にすぐに良くなった。

今年も山暮らしが始まった。温泉プールで泳ぐことを心待ちにしていた母、秋には大好きな栗拾いもある。なにもかも乗り越えて生きてゆく母にエール。





2021年1月12日

母、86歳、イタリアへ移住する〈2021年を迎えるにあたり〉⑬ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈nel dare il benvenuto al 2021〉



ロックダウンのなか粛々と家族で迎えた2021年。いつものように元気いっぱいのAUGURIではなくて、控えめ小さめのお慶び。クリスマスも大晦日も特別なことはせず、あえてふつうにお祝いした。母にとってはイタリアで迎える二度目の新年、みんな、「せめて花火くらい」と思ったのか、ここローマの家の周辺も今年はことのほか派手。母もシャンペン片手に寒いベランダではしゃいでいた。

師走に入ると、外出といえば、インフルエンザの予防接種(一か月遅れでようやく順番が回ってきた)や定期健診をしたくらいで、ずっと自粛。これといった楽しみのない毎日だけれど、あろうことか、母は「Mr.Bean」にすっかりはまってしまい、同じ動画をなんども、まるで初めて観るかのように繰り返し観てはぶつぶつと独り言つ(あらためて傑作だと思う瞬間)。

年明け早々には、イタリアのワクチン接種カレンダーが発表され、EU諸国のなかでも迅速な対応とあって期待が寄せられる。母のような基礎疾患のある高齢者は3月、遅くとも4~5月までに接種予定とのこと。でも、このご時世、いつなにが起こるか予測不能なのでだいたいのところだけ頭に入れておこう。

接種が進めば移動も可能になり、滞っていたさまざまな案件が再開し、活気が戻ってくるに違いない。そうしたらなにをしようか・・・とつい先のことを考えてしまう。

もし、コロナがなかったらなにをしていただろう...と2019年にイタリア帰国を目前にあれこれと呟いていたことをを振り返ってみる。母を連れてイタリア観光、地中海クルーズ、食べ歩きなどなど、やはり移動が中心。それが、まさかのパンデミックで外出禁止!

夏のあいだ、自粛モードとはいえ比較的自由がきく山で過ごすことができ、ジモティとの交流、栗拾いやマロングラッセ作り、それなりに新たな発見や出会いがあった。移動ができなくてもすることはたくさんあるわけで・・・。

とりあえず、2020年は家族がなんとか無事だったことがいちばんの成果だと思うし、2021年はその地点からのスタート。多くのことを望まず、現状維持でも十分くらいの気持ちでいこうと思う。