ウィズ・コロナ2度目の夏、母にとっても2度目のイタリアの夏になる。
ローマから山の家に移って3ケ月、週3回のペースの硫黄温泉プールとランチの半日コースは9月に入ったいまでも続いている。硫黄の即効的効能には驚くばかり、母もわたしもスベスベ肌だが真っ黒に日焼けしてしまった。
8月になると、ワクチン接種証明「グリーン・パス」でいろいろなことが可能になった。周りではプチ旅行に出かけるひとも増え、わたしもどこかに行きたいとは思ったけれど、夫は根が生えたように山から動かないし(これは、今に始まったことではなく、コロナだからということでもない。結婚以来ずーっとこんな調子)、唯一の楽しみの息子との旅行も今年も実現せず、彼はグリーン・パスを手にシチリアの友だちのところにさっさと行ってしまった。ひたすらプール通いで憂さ晴らし。贅沢!
夏の楽しみのひとつはここへ里帰りする友だちとの再会、久しぶりにプールで合流した。スイスイ泳ぐ母を横目に話題はおのずと介護のことに。とはいっても、母は、まだらプチ呆けはあるものの、身の回りのことは自分でできるので、介護というより付き添い・手助けくらいかも知れない。
心理学者の彼女によると「介護鬱」になるひとの悩み相談が多いのだという。「お年寄りの住む世界はわたしたちの理屈とは違うの、こちらの期待どおりになると思わないこと」と諭された。彼女だから話せたこともたくさんあって、気持ちが軽くなった。
久しぶりに会った従妹と温泉につかりながら話したのもやはり介護のことだった。数年面倒をみたお義母さんは認知症を患っていた。悲しいかな、いちばんお世話してくれている嫁がだれだかわからなくなり、ロシアから来たお手伝いさんだと思っていたそうだ。
「そんなときも決して否定してはいけないの」と満面の笑みで答える従妹。悲しみや憤りもあっただろうに、彼女の強さが垣間見えた瞬間だった。始終愚痴をこぼすじぶんはなんて小さな人間なのだろうと猛省。
硫黄の水と光のなかでまったりと過ごす時間に身体と心が癒された。
ローマからそう遠くないこの山も、温暖化とコロナの影響でひとが増えたような気がする。B&Bが続々とオープンし、これまで救急だけだった保健所もちゃんとしたのができるらしい。町のジェラート屋さんはリニューアルしてケーキ屋としても充実(←この夏いちばん嬉しかったこと)、そのお向かいに日用品のチャイニーズ・スーパーマーケットもオープンする。町の小売店はあまり良い顔をしていないけれど、ビジネスはビジネス、競争社会なのだから仕方がない。今でこそアマゾンで調達できるようになったものの30年前のここにはモノがなくて、特に日用品は「いまいち」なものばかりで困ったものだ。わたしは、内心楽しみにしている。
栗山の村では秋の収穫の予想でもちきりだ。どうやら、この春の悪天候のせいで今年の初ものは実りが悪いらしい。少し後になって生るナポレターノとブッシュという種類も去年ほど収穫はなさそうだ。マロングラッセ作り、どうなることやら。栗の木を眺めながら「また拾いに行かなあかんね」とつぶやく母。
賑やかな夏が終わり、秋から冬へと移ろうころになると、圧倒的な山の重圧感に圧し潰されそうになる。この山で生まれたわけではないじぶん、もはや根なし草のじぶん、「世界の果てにいる」という感覚だ。いつも適当にやり過ごし、そうこうしているうちに夏が終わって下山してしまう。でも、どうだ、今ここには「へその緒ルーツ」の母がいるではないか。奇跡だ!
ときどき、母はだれなのだろうと思うことがある。なぜイタリアに来たのか、なぜここにいるのか。よく第二の人生、第三の人生と言うけれど、今ここで、母は何番目の人生を送っているのだろう。