2021年6月20日

母、88歳のイタリア生活 ① Mamma, 88 anni, si gode la vita all'italiana


 

コロナ禍の先行きがはっきりしないまま迎えた新年、イスラエルや英米がワクチン接種を進めていくなか、イタリアでもその効果には大いに期待が向けられ、3月は80歳以上の予約が始まった。そして、母もご多分に漏れず接種を受けることに。幸い、なんの副反応もなく無事に終えることができた。

そんな3月は母の誕生月でもあり、家族で米寿を祝った。稲穂のごとく、人生の豊かさの重みにおのずと首を垂れる、黄金のオーラ・・そんな節目を迎えた母だった。

八重桜のころに生まれた母を今年こそはお花見に連れ出したかった。外出規制が緩和したころ、ちょうど蕾がほころび始め、近くの桜を愛でることができた。日本の桜とは趣が違うものの、イタリアでもお花見を楽しむ人が多いことに歓喜する母。

ワクチン接種を終え、それまで控えていた歯科医へも。単なる定期健診のつもりが思いのほか状態が悪くて大がかりなことになってしまったが、それもなんとか乗り越えた。「歯をいじったんだから少しくらい痛くても当たり前」と痛み止めも飲まなかった母(*数本抜いています)、もうすっかり快復して食事を満喫している。

認知症の検査では、たとえ不可抗力だったとはいえ、この年齢で移住を決意し、習慣も言語も違う異国で生活することじたい(その精神的な負担を思えば)称賛に値するとドクターに褒められ、自信を持つ母。

母の生活態度が大きく変化したのは、わたしの結婚から出産・子育てのビデオをひととおり観てからだと思う。自分がわたしたち家族とどのように関わっていたのかすっかり忘れてしまっていた母、遠い思い出が一気に蘇り、それまであった隔たりがなくなった。

実は、しばらくのあいだ写真やビデオを遠ざけていたのだ。こちらの生活に早く慣れるようにと思ってのことだった。

6月に入ると気温が一向に下がらなくなり、熱波に覆われたローマから逃げ出すように山へと移動した。暑さのせいで浮腫んでいた母の足は、山に来たその日にすぐに良くなった。

今年も山暮らしが始まった。温泉プールで泳ぐことを心待ちにしていた母、秋には大好きな栗拾いもある。なにもかも乗り越えて生きてゆく母にエール。





2021年1月12日

母、86歳、イタリアへ移住する〈2021年を迎えるにあたり〉⑬ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈nel dare il benvenuto al 2021〉



ロックダウンのなか粛々と家族で迎えた2021年。いつものように元気いっぱいのAUGURIではなくて、控えめ小さめのお慶び。クリスマスも大晦日も特別なことはせず、あえてふつうにお祝いした。母にとってはイタリアで迎える二度目の新年、みんな、「せめて花火くらい」と思ったのか、ここローマの家の周辺も今年はことのほか派手。母もシャンペン片手に寒いベランダではしゃいでいた。

師走に入ると、外出といえば、インフルエンザの予防接種(一か月遅れでようやく順番が回ってきた)や定期健診をしたくらいで、ずっと自粛。これといった楽しみのない毎日だけれど、あろうことか、母は「Mr.Bean」にすっかりはまってしまい、同じ動画をなんども、まるで初めて観るかのように繰り返し観てはぶつぶつと独り言つ(あらためて傑作だと思う瞬間)。

年明け早々には、イタリアのワクチン接種カレンダーが発表され、EU諸国のなかでも迅速な対応とあって期待が寄せられる。母のような基礎疾患のある高齢者は3月、遅くとも4~5月までに接種予定とのこと。でも、このご時世、いつなにが起こるか予測不能なのでだいたいのところだけ頭に入れておこう。

接種が進めば移動も可能になり、滞っていたさまざまな案件が再開し、活気が戻ってくるに違いない。そうしたらなにをしようか・・・とつい先のことを考えてしまう。

もし、コロナがなかったらなにをしていただろう...と2019年にイタリア帰国を目前にあれこれと呟いていたことをを振り返ってみる。母を連れてイタリア観光、地中海クルーズ、食べ歩きなどなど、やはり移動が中心。それが、まさかのパンデミックで外出禁止!

夏のあいだ、自粛モードとはいえ比較的自由がきく山で過ごすことができ、ジモティとの交流、栗拾いやマロングラッセ作り、それなりに新たな発見や出会いがあった。移動ができなくてもすることはたくさんあるわけで・・・。

とりあえず、2020年は家族がなんとか無事だったことがいちばんの成果だと思うし、2021年はその地点からのスタート。多くのことを望まず、現状維持でも十分くらいの気持ちでいこうと思う。







2020年10月16日

母、86歳、イタリアへ移住する〈秋の山暮らし〉⑫ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈vita autunnale in montagna〉




冬は、糸紡ぎや編物、機織りをして過ごすことが多く、夏のあいだに育った和棉を糸にするのがここ数年の楽しみのひとつ。

和棉紡ぎとの出会いは東京の用賀にあった東京コットン・ヴィレッジというジャズ・クラブ。マイ・ボトルならぬマイ・スピンドル(糸紡ぎの独楽)をお店に据え置き、仕事帰りのサラリーマンがジャズを聴きながら独楽を回す姿がシュールというか、可愛いというか。

原毛の糸紡ぎや機織りも好きだけれど、こちらは羊を飼うところから始めるのはちょっと無理。和棉なら種から育てるのもありかも、ということで、ローマで和棉を栽培することになった。最初の年はベランダで鉢植え栽培、でも、それでは埒が明かないほど少量なので、自家菜園をしている山の友だちに頼んでみた。快諾!2017年の暮れに最後の収穫の綿をどっさりといただいた。



2017年から2019年の暮れまで、いろいろとあって手つかずだったが、母の移住手続きが終わってほっとした段階で、まずは、栽培してくれた山の友だちに紡いだ糸で手織りの布を作ることに。これは、写真の木製フレームに5ミリ間隔で交互に釘を打ちつけて自分で作った機織り機で一本一本糸を通して織るという気の遠くなるような作業。でも、彼らは、それでは足りないくらいの労力と思いを注いで育ててくれたので、感謝の意も込めて、クリスマスにもなんとか間に合った。




コロナ禍のロックダウンを利用して残りの綿を糸にする作業は、母もきっと手伝ってくれるだろうと期待していたが、「よくそんな面倒なことできるわね」とあっさり😢 仕方なくひとりでせっせと紡いで、なにを作ろうか迷った末、ショールに。




母は、移住してからずっと編物に専念し、リビングの食卓の定位置で来る日も来る日もセーターを編み続けた。編物は母にとってのセラピー。制作意欲も衰えることはなく、雑誌をながめてあれこれ迷ったりして楽しんでいる。

最近は、小さな文字で書かれた製図が読みにくいらしく、大きく書き写してテーブルの前に置いてあげる。ときには、手が勝手に動いてしまうのか、間違ったまま編み進んでしまって、解いては編みなおす、その繰り返し。達成感というのを味合わせてあげたいので、完成することが大前提なのだけれど・・・時間はたっぷりあるので、慌てず急がず、ゆっくりまったり。



上の写真は母が編んだふわっふわのとっくりセーター。ちなみに、いまは頑張って次男のVネックのベストを編んでいます。わたしは、アフガン編みにハマっています。



↓和棉についての過去日記

種から布まで、土の温もりを感じながら農的時間を過ごす豊かさ

寒い冬はコットンを紡いで過ごします




2020年10月9日

母、86歳、イタリアへ移住する〈秋の山暮らし〉⑪ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈vita autunnale in montagna〉




夏のあいだだけというつもりの山暮らしが10月いっぱいに延期になったのは、ローマのコロナ事情で外出の多い息子たちとの接触を避けるため。夫とわたしも危険年齢ゾーンだし母も高齢(87歳)なので、リスク・マネージメントを最大限拡張することになった。昨今の温暖化で10月もまだ暖かいに違いないと高を括っていたけれど、標高700mの古家は足もとから深々と冷え込む。

さすがに屋外の温泉プールは打ち切りとなり、10月は栗拾いがメインテーマとなった。そもそも、この山はほとんどが栗林、行けども行けども栗ばかり。ところが、ここ10年ほどは害虫が蔓延って(チニピデ・ガリージェノという中国来の虫=蛾の一種で、日本から輸入された栗木から伝染していったといわれる)栗の実はひとつもできなかった。それが、今年は、晴れて駆除に成功、町中に活気が戻ってきた。


我が家も一片の栗畑があることはあるが、管理は従弟に任せてあって、結婚30年来一度も足を踏み入れたことがなかった。栗拾いに憑りつかれてしまった母、車道や空地に落ちている栗はほとんどが拾われ尽くしてしまったし、親類や友だちは連日収穫で忙しく(外国人労働者の減少で人手が足りない)遊び半分でわたしたちがお邪魔するわけにもいかない。そこで、従弟に聞いて我が家の土地で栗を拾うことになった。


栗は、時期によって落ちる種類が違うが、その日はブーシュという大粒のマロン種がたくさん落ちていた。土地一面のイガイガを見たら、やめられないとまらない母。両手にいっぱいになるまで腰をかがめたまま拾い続ける。「真直ぐに立てなくなっちゃうよ」と言っても聞く耳持たず、ただひたすら拾う母。ひとつも残したくないという勢い。

そのブーシュは、大味で形が崩れやすいので、ここでは茹でて潰して「カスタニャッチョ」というお菓子にするのが主流なのだそう。これは、トスカーナのレシピとは違って、栗粉に溶かしたチョコレートと砂糖、ラム酒を和えて捏ねた、いわばチョコ栗きんとん。

大きく(1粒40グラムほど)て形も綺麗なブーシュを粉にするなんて、なんてもったいないこと!しかも、マロングラッセ用に需要があるので卸価格も他の種類より高い。それを粉にするなんて…。

そんなごく自然ないきさつで、ド素人のわたしがマロングラッセに挑戦することになった。ところが、マロングラッセというのは、これまた手間のかかる一品で、栗にもよるのでしょうが、一週間くらいかかってしまう。なんちゃってマロングラッセなら3日くらいでできるけれど、あの独特のもっちりしっとり感はない。

ちなみに、マロングラッセの起源は、フランス説もあればイタリア説もあって、本当のところは不明。ピエモンテの栗の産地クネオで16世紀にサヴォイア王朝の男爵カルロ・エマヌエレのために作られたという説は、1790年に出版された『Confetturiere Piemontese』という書物にレシピが記されていることから有力とされるが、16世紀のリヨンが起源というフランス説もある。

いろいろなレシピで試行錯誤を続けながら、台所には常時シロップ漬けの栗の鍋が2つという、我が家では前代未聞の光景。まったく栗を煮ないレシピもあれば、先に火を通してから砂糖漬けにするもの、分量もマチマチで、栗の種類とおそらくは水とか火加減、砂糖の量、すべてを調整しながらという、コレという決め手がないというのがこのお菓子のレシピなのかも知れない(調理というのは往々にしてそういうもの・・)

ハードルが高すぎるとも思うけれど、栗の産地であるここのジモティたちに試食してもらいながらシロップ鍋とのおつきあい、「10月もまだここにいるの?」と不満気だった自分に異変が起きている!


10月のこの町の目玉といえば栗フェス(Sagra di Castagne)、今年は、生憎コロナで中止だが、来年はきっと収束して開催されるに違いない。もし、このマロングラッセがうまくいったら、友だちのブースで出させてもらったりして?そんな楽しみがちらつき始めたらやる気も出るというもの。

10月もここで過ごすのは、たぶん、おもしろい。




2020年9月23日

母、86歳、イタリアへ移住する〈夏の山暮らし〉⑩ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈vita estiva in montagna〉



結婚以来30年このかた、9月後半にこの山にいたことは一度もなく、今年はコロナ禍でわずかだった避暑客もいよいよいなくなって、寂しくなるやら落ち着くやら複雑な心境だったが、とにかく町には平常の生活が戻ってきた。この時期のひとびとの最大の関心事は栗。いつ、どの種類がどれくらい収穫できるか、雨はいつ、どれくらい降るのか、などなど。この山は、見渡す限りが栗の木に覆われていて、夏のあいだはせっせと草を刈って焼いて、秋の栗拾いに備える。まとまった雨さえ降れば本格的な収穫作業が始まるのに、なかなか降ってくれない日々が続いた。

今週になってようやく天気が崩れ出し、ひとびとの期待が高まった。と同時に、ここに来てから青々とした夥しい数の実を遠目に見ながら、それをずっと待ち望んでいたひとがいる。

雨が降った後、水分で重くなったイガイガが地面に落ちて割れ、実があちこちに散らばっている。車道ではタイヤに踏まれて潰れるものもたくさんある。

「もったいない・・」と母。

もったいないといえば、夫もまたもったいながりやで、野生のイチジクやインド・イチジクの実が熟して落ちてしまうのを放置できないタイプ。温泉プールへの道すがら、そういった木がいくつかあって、捥ぎどきを虎視眈々と狙っているのだ。イチジクなら簡単に捥げるが、インド・イチジクの方は、サボテンの実、棘がいっぱいで手で触れることができない。長い棒の先にナイフを取りつけてギコギコ、細心の注意を払いながら容器に収めて持ち帰るといった難易度の高さ、技を要する。「そこまでしてやる?」と思ってしまうのだが聞く耳持たず。言い出したら聞かないのは母も同じで、どうやら山育ちどうし気が合うのかも知れない。食べものや味の好みまでよく似ていたりする。

さて、雨が降ったところで、さっそく、母を連れて栗拾いに出かけることにした。私有地には入れないので、車道に落ちている栗が拾えるところに出かけると、あるわあるわ。まだイガイガのなかに籠っている実は、両足で挟んで開いて取り出す。拾い出したら止まらない、もっともっとと夢中になる母のなかでは、幼いころの栗拾いの記憶が鮮明に蘇っていたようだ。栗を拾って時空を超える母!「また明日にしよう」と、適当なところで打ち切らなければいつまでも拾っていただろう。

家に帰ってさっそくオーブンで焼いてホカホカをいただく。そうだ!ヴィン・サントも買い置かなければ!

この雨がもう少しまとまって降れば、来週にはポルチーニが顔を出すはず。山歩きがてら気合を入れて探してみようと思う。もちろん、母も一緒に。

 


↓この山に関する過去日記

母、86歳、イタリアへ移住する〈夏の山暮らし〉⑧

母、86歳、イタリアへ移住する〈夏の山暮らし〉⑨



2020年9月7日

母、86歳、イタリアへ移住する〈夏の山暮らし〉⑨ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈vita estiva in montagna〉)

 



正直なところ、たとえ夏のひと月とはいえ、結婚してしばらくのあいだ山の暮らしには馴染めなかった。この山特有の気質というか、閉鎖的な社会に溶け込むのは本当に困難なことで、事実、隣町から嫁いできた女性でさえ、「ヨソモノだから大変」とこぼしたりする。「隣町って・・すぐそこですよね・・・どうなる、わたし?」そもそも、ここのひとたちは、ヨソのことには関心がなく、町のダレソレがどうした、なにをした、ばかりが語られ(しかも難解な方言)、ヨソモノのわたしにはいっさいがヴェールに包まれた謎。夫はというと、生まれ故郷の山をこよなく愛し、普段いない分を取り戻すべく、1秒をも惜しんで駆け巡る。そんなジモティ以上の夫と100%ヨソモノのわたしの30年来の里帰り、いまだにどこか宙ぶらりんで、なんとなくふわふわと過ごしている。

そんなわたしのなかの「世界の果て感」がようやく薄れてきたのは、ネットが開通してからのことで、どれだけ気が楽になったことか。遠くにいても決して離れているわけではないという感覚が育ってくると、ここでの生活も少しずつ楽しくなってきた。息子たちは、まさしくそういう世代を生きていて、ここの暮らしは悪くないと思っている。しかも、このコロナ禍である。

山の国で育った母にとって、ここは、生まれ故郷の原風景と重なるものがあるのかも知れない。食事にもこだわりがなく、新鮮で無農薬のキロメトロ・ゼロ(地産地消)が合うらしい。和食を食べたいと言ったことは一度もなく、たまにお寿司でも食べられれば御の字、作る側としては大変ありがたい。

母にとって、「ここは日本とあまり変わらない」のだそうだ。ヨソモノ意識など、母にしてみればどうでもいいちっぽけな壁なのか、自然の前ではもはや言葉や文化も大したことではないのか。たまに妄想に陥ってすぐに逃げられるように荷造りしておく、とか宣うこともあるけれど(前途多難の兆し)、まずまずの前進といえるかも知れない。

ここは、満天の星空。ある夜のこと、子どものころから星を眺めるのが好きだった母が、「もし地球がなくなったらどうしよう」と言うので、「別の星に移住すれば良いでしょう」と答える。意識がぐんと広がるときもあれば、ほんの些細なことでイジケルこともある。人間ってすごい、と思う瞬間。

夏が終わるまでもう少し、しっかりと充電していこうと思う。


↓この山に関する過去日記 








2020年9月5日

母、86歳、イタリアへ移住する〈夏の山暮らし〉⑧ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈vita estiva in montagna〉)

 


6月、州またぎの移動が可能になったところで都会脱出計画を遂行、学業のある息子たちをローマに残し、母と夫と3人で山の家へ移ることになった。夏の休暇はいつもここで過ごしているが、今年はコロナ禍でその存在のありあがたみを特に感じている。

標高600m、休火山のカルデラ内に発達した町は人口3千人ほど、ミネラル・ウォーターの源泉地でもあり、山一帯は栗の木で覆われている。毎年10月に催される収穫祭では「世界一大きなフライパン焼栗」がギネスで認定された。

この町から車で30分ほど山を下りたところには、硫黄の温泉地もある。ローマ時代から利用されているまさしく「テルマエ・ロマエ」、多くの施設が年間を通して湯治に利用されているが、屋外の温泉プールはぬるま湯ていど、硫黄が溶けて乳白色に濁り独特の臭いが漂う。はじめは、そのゆで卵のような臭いが気になっていたが、もうすっかり慣れてしまった。温泉地とはいっても、30年前もいまも変わらず、観光地らしい土産屋も飲食店もなく、日本人のわたしとしては温泉饅頭のひとつも欲しいところだが、殺風景な山あいには施設のみが点在する。

わたしたちも、歳をとるにつれて頻繁に来るようになった。やれ腰痛だの関節炎だの、医者の処方箋があれば格安に治癒を受けられる。

今年はぜひ母も連れて来たかった。日本を発つ前から高血圧で足がむくみ、冬は足が冷え切って眠れないほど。というわけで、週に2回、混雑を避けて午前中のみというペースで通うことに。7月になるとコロナ対策をしっかり取って営業が再開となった。とはいえ、まだ利用者はほとんどなくて貸し切り状態。なんという贅沢!

母は、プールに入るまで自分が泳げること、泳ぎが大好きなことすら忘れていた。恐る恐る水に足を入れ、手を広げて平泳ぎを試みる。すると、水を得た魚とはこのことか、すいすいと泳ぎ始めた。そして、「子どものころはよく急流で泳いだものだ」と得意満面の笑みを浮かべる。2ヶ月たったいま、プールを一周するまでにもなった!

足のむくみもすっかり取れて、真っ黒に日焼けした母、健康そのものでまるで別人のようだ。

「次はいつ行くの?」と目を輝かせる母。この暑さなら9月いっぱいは大丈夫そうだ。