正直なところ、たとえ夏のひと月とはいえ、結婚してしばらくのあいだ山の暮らしには馴染めなかった。この山特有の気質というか、閉鎖的な社会に溶け込むのは本当に困難なことで、事実、隣町から嫁いできた女性でさえ、「ヨソモノだから大変」とこぼしたりする。「隣町って・・すぐそこですよね・・・どうなる、わたし?」そもそも、ここのひとたちは、ヨソのことには関心がなく、町のダレソレがどうした、なにをした、ばかりが語られ(しかも難解な方言)、ヨソモノのわたしにはいっさいがヴェールに包まれた謎。夫はというと、生まれ故郷の山をこよなく愛し、普段いない分を取り戻すべく、1秒をも惜しんで駆け巡る。そんなジモティ以上の夫と100%ヨソモノのわたしの30年来の里帰り、いまだにどこか宙ぶらりんで、なんとなくふわふわと過ごしている。
そんなわたしのなかの「世界の果て感」がようやく薄れてきたのは、ネットが開通してからのことで、どれだけ気が楽になったことか。遠くにいても決して離れているわけではないという感覚が育ってくると、ここでの生活も少しずつ楽しくなってきた。息子たちは、まさしくそういう世代を生きていて、ここの暮らしは悪くないと思っている。しかも、このコロナ禍である。
山の国で育った母にとって、ここは、生まれ故郷の原風景と重なるものがあるのかも知れない。食事にもこだわりがなく、新鮮で無農薬のキロメトロ・ゼロ(地産地消)が合うらしい。和食を食べたいと言ったことは一度もなく、たまにお寿司でも食べられれば御の字、作る側としては大変ありがたい。
母にとって、「ここは日本とあまり変わらない」のだそうだ。ヨソモノ意識など、母にしてみればどうでもいいちっぽけな壁なのか、自然の前ではもはや言葉や文化も大したことではないのか。たまに妄想に陥ってすぐに逃げられるように荷造りしておく、とか宣うこともあるけれど(前途多難の兆し)、まずまずの前進といえるかも知れない。
ここは、満天の星空。ある夜のこと、子どものころから星を眺めるのが好きだった母が、「もし地球がなくなったらどうしよう」と言うので、「別の星に移住すれば良いでしょう」と答える。意識がぐんと広がるときもあれば、ほんの些細なことでイジケルこともある。人間ってすごい、と思う瞬間。
夏が終わるまでもう少し、しっかりと充電していこうと思う。
↓この山に関する過去日記
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