2021年9月12日

アランが好きなわけ ①






以前からちょこちょこ編んではいたものの、このコロナ禍のロックダウン(外出規制でお家時間が増えた)を機にアランにここまではまるとは思わなかった。複雑な模様が出来上がったときの達成感も去ることながら、その模様が生まれた背景や歴史も魅力的。いつか、発祥の地アイルランドのアラン諸島を訪れたいと思っている。

色はやはり定番の乳白色に落ち着いてしまう。糸は太目より細目の方が編み上がりがふわっとして着心地は良いけれど、本来のアランは太目の糸でしっかり目を積んで厚みを出すのが目的。海の男たちの防寒用なのだ。

いろんな模様にチャレンジしながらまだまだ続きそう。

次男のスキー用セーターはシンプルな縄編み

前立てのハニカム(蜂の巣)模様

コロコロ玉編みがしてみたくて

ボタンをつける前のカーディガンは裾と袖口が特徴

ガンジー模様

細目の糸で編んだラグラン袖

コットンで編んだガンジー模様のサマーアラン

あまった毛糸でマフラー

菱形が特徴のガンジー模様

裾、衿、袖口を輪編みにしたヴィンテージ風

2021年9月11日

母、88歳のイタリア生活 ③ Mamma, 88 anni, si gode la vita all'italiana

 



ウィズ・コロナ2度目の夏、母にとっても2度目のイタリアの夏になる。

ローマから山の家に移って3ケ月、週3回のペースの硫黄温泉プールとランチの半日コースは9月に入ったいまでも続いている。硫黄の即効的効能には驚くばかり、母もわたしもスベスベ肌だが真っ黒に日焼けしてしまった。

8月になると、ワクチン接種証明「グリーン・パス」でいろいろなことが可能になった。周りではプチ旅行に出かけるひとも増え、わたしもどこかに行きたいとは思ったけれど、夫は根が生えたように山から動かないし(これは、今に始まったことではなく、コロナだからということでもない。結婚以来ずーっとこんな調子)、唯一の楽しみの息子との旅行も今年も実現せず、彼はグリーン・パスを手にシチリアの友だちのところにさっさと行ってしまった。ひたすらプール通いで憂さ晴らし。贅沢!

夏の楽しみのひとつはここへ里帰りする友だちとの再会、久しぶりにプールで合流した。スイスイ泳ぐ母を横目に話題はおのずと介護のことに。とはいっても、母は、まだらプチ呆けはあるものの、身の回りのことは自分でできるので、介護というより付き添い・手助けくらいかも知れない。

心理学者の彼女によると「介護鬱」になるひとの悩み相談が多いのだという。「お年寄りの住む世界はわたしたちの理屈とは違うの、こちらの期待どおりになると思わないこと」と諭された。彼女だから話せたこともたくさんあって、気持ちが軽くなった。

久しぶりに会った従妹と温泉につかりながら話したのもやはり介護のことだった。数年面倒をみたお義母さんは認知症を患っていた。悲しいかな、いちばんお世話してくれている嫁がだれだかわからなくなり、ロシアから来たお手伝いさんだと思っていたそうだ。

「そんなときも決して否定してはいけないの」と満面の笑みで答える従妹。悲しみや憤りもあっただろうに、彼女の強さが垣間見えた瞬間だった。始終愚痴をこぼすじぶんはなんて小さな人間なのだろうと猛省。

硫黄の水と光のなかでまったりと過ごす時間に身体と心が癒された。

ローマからそう遠くないこの山も、温暖化とコロナの影響でひとが増えたような気がする。B&Bが続々とオープンし、これまで救急だけだった保健所もちゃんとしたのができるらしい。町のジェラート屋さんはリニューアルしてケーキ屋としても充実(←この夏いちばん嬉しかったこと)、そのお向かいに日用品のチャイニーズ・スーパーマーケットもオープンする。町の小売店はあまり良い顔をしていないけれど、ビジネスはビジネス、競争社会なのだから仕方がない。今でこそアマゾンで調達できるようになったものの30年前のここにはモノがなくて、特に日用品は「いまいち」なものばかりで困ったものだ。わたしは、内心楽しみにしている。

栗山の村では秋の収穫の予想でもちきりだ。どうやら、この春の悪天候のせいで今年の初ものは実りが悪いらしい。少し後になって生るナポレターノとブッシュという種類も去年ほど収穫はなさそうだ。マロングラッセ作り、どうなることやら。栗の木を眺めながら「また拾いに行かなあかんね」とつぶやく母。

賑やかな夏が終わり、秋から冬へと移ろうころになると、圧倒的な山の重圧感に圧し潰されそうになる。この山で生まれたわけではないじぶん、もはや根なし草のじぶん、「世界の果てにいる」という感覚だ。いつも適当にやり過ごし、そうこうしているうちに夏が終わって下山してしまう。でも、どうだ、今ここには「へその緒ルーツ」の母がいるではないか。奇跡だ!

ときどき、母はだれなのだろうと思うことがある。なぜイタリアに来たのか、なぜここにいるのか。よく第二の人生、第三の人生と言うけれど、今ここで、母は何番目の人生を送っているのだろう。









2021年7月10日

母、88歳のイタリア生活 ② Mamma, 88 anni, si gode la vita all'italiana





灼熱のローマからこの山へ移動したのは6月のなかごろ。かつてのように「山だから涼しい」はもう成り立たなくなっていて、ここでも強烈な熱波に見舞われる。階下の薄暗くじめっとした共同玄関のホールには空家となっているお隣さんの物置があり、どうやらそこで大量発生しているパパタチという蚊の一種(日本でいうサシチョウバエ)が家のなかにも侵入し、母も刺されて酷い状態に。「蚊には蚊取り線香」とさっそく玄関口にセット。プールの後のお昼寝どき、おやつのスイカの香りとお線香の匂いに、遠いむかしの日本の夏、キンチョーの夏を思い出す。

硫黄の温泉プールも週に3回くらいのペースで通い始める。コロナ禍で閉業中だった併設のリストランテがリニューアルし、冷房の効いたガラス張りのお洒落な雰囲気と前方に源泉火山を見渡すロケーション、それに腕前抜群のシェフのお料理が気に入って、湯治の後はここでお昼ご飯、というパターンが定着する。


このところのアフリカ熱波でプールの水温も上がり気味、ノボセてしまいそうだが、88歳の母はひとり水の中へと泳ぎ出す。「大丈夫かなあ・・」広いプールを何周か泳いで満足気に戻ってくると、プールサイドの朝カフェが待ち遠しい母、クロスタータ(日替わりジャムのタルト)とカプチーノでサクッと決める。





硫黄の効能か日光浴のせいか、真黒の肌はツルツル、スベスベ、老い知らずの母は、これといったアレルギーもなければ胃腸も丈夫、強いていうなら心臓がちょっと、でも、ドクターは普通です、と。

変わったことといえば先々月「総入歯」にしたことかも。これまでは差歯に部分入歯をひっかけていたのだけれど、歯医者に診せたら「OMG!」、もう差歯の体力が限界に来ていてこれ以上は無理!迷うことなくすべて抜歯することに。

問題は食事です!二週間ほど流動食を作り、赤ちゃんの離乳食のような塩梅で少しずつ固めに。歯のないあいだというのは、鏡に映る自分の顔から受ける打撃から急に精神的に老いぼれてしまって、周囲も少なからずそれにつられてしまって、映像の刷り込みというのは恐ろしい。それからひと月もすると、あれはいったいだれだったのか、と思うほど。

いまでは母のライフラインとなったイタリー製の入歯、ケースをハンカチに包んで常に持ち歩き、「夜中だれかに盗られるとあかんからね」と洗面所から寝床に持ち運ぶ(いったいだれが入歯を持っていくのか!?)命より大切なもの。でも、これだけは、実際に経験してみないとわからない。そのうち、自分も母と同じ運命をたどるのだろう、いまの歯の状態からも察しがつく。

明日のEURO2020(サッカーのヨーロッパ・カップ)の決勝戦が終われば、この村にもまた平穏で静かな日々が戻って来そうだ。村の集会所では屋外にパブリック・ビューイングが設置され、花火も準備されている。FORZA ITALIA!

㊟ プールの写真は施設のサイトからお借りしています。









2021年6月20日

母、88歳のイタリア生活 ① Mamma, 88 anni, si gode la vita all'italiana


 

コロナ禍の先行きがはっきりしないまま迎えた新年、イスラエルや英米がワクチン接種を進めていくなか、イタリアでもその効果には大いに期待が向けられ、3月は80歳以上の予約が始まった。そして、母もご多分に漏れず接種を受けることに。幸い、なんの副反応もなく無事に終えることができた。

そんな3月は母の誕生月でもあり、家族で米寿を祝った。稲穂のごとく、人生の豊かさの重みにおのずと首を垂れる、黄金のオーラ・・そんな節目を迎えた母だった。

八重桜のころに生まれた母を今年こそはお花見に連れ出したかった。外出規制が緩和したころ、ちょうど蕾がほころび始め、近くの桜を愛でることができた。日本の桜とは趣が違うものの、イタリアでもお花見を楽しむ人が多いことに歓喜する母。

ワクチン接種を終え、それまで控えていた歯科医へも。単なる定期健診のつもりが思いのほか状態が悪くて大がかりなことになってしまったが、それもなんとか乗り越えた。「歯をいじったんだから少しくらい痛くても当たり前」と痛み止めも飲まなかった母(*数本抜いています)、もうすっかり快復して食事を満喫している。

認知症の検査では、たとえ不可抗力だったとはいえ、この年齢で移住を決意し、習慣も言語も違う異国で生活することじたい(その精神的な負担を思えば)称賛に値するとドクターに褒められ、自信を持つ母。

母の生活態度が大きく変化したのは、わたしの結婚から出産・子育てのビデオをひととおり観てからだと思う。自分がわたしたち家族とどのように関わっていたのかすっかり忘れてしまっていた母、遠い思い出が一気に蘇り、それまであった隔たりがなくなった。

実は、しばらくのあいだ写真やビデオを遠ざけていたのだ。こちらの生活に早く慣れるようにと思ってのことだった。

6月に入ると気温が一向に下がらなくなり、熱波に覆われたローマから逃げ出すように山へと移動した。暑さのせいで浮腫んでいた母の足は、山に来たその日にすぐに良くなった。

今年も山暮らしが始まった。温泉プールで泳ぐことを心待ちにしていた母、秋には大好きな栗拾いもある。なにもかも乗り越えて生きてゆく母にエール。





2021年1月12日

母、86歳、イタリアへ移住する〈2021年を迎えるにあたり〉⑬ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈nel dare il benvenuto al 2021〉



ロックダウンのなか粛々と家族で迎えた2021年。いつものように元気いっぱいのAUGURIではなくて、控えめ小さめのお慶び。クリスマスも大晦日も特別なことはせず、あえてふつうにお祝いした。母にとってはイタリアで迎える二度目の新年、みんな、「せめて花火くらい」と思ったのか、ここローマの家の周辺も今年はことのほか派手。母もシャンペン片手に寒いベランダではしゃいでいた。

師走に入ると、外出といえば、インフルエンザの予防接種(一か月遅れでようやく順番が回ってきた)や定期健診をしたくらいで、ずっと自粛。これといった楽しみのない毎日だけれど、あろうことか、母は「Mr.Bean」にすっかりはまってしまい、同じ動画をなんども、まるで初めて観るかのように繰り返し観てはぶつぶつと独り言つ(あらためて傑作だと思う瞬間)。

年明け早々には、イタリアのワクチン接種カレンダーが発表され、EU諸国のなかでも迅速な対応とあって期待が寄せられる。母のような基礎疾患のある高齢者は3月、遅くとも4~5月までに接種予定とのこと。でも、このご時世、いつなにが起こるか予測不能なのでだいたいのところだけ頭に入れておこう。

接種が進めば移動も可能になり、滞っていたさまざまな案件が再開し、活気が戻ってくるに違いない。そうしたらなにをしようか・・・とつい先のことを考えてしまう。

もし、コロナがなかったらなにをしていただろう...と2019年にイタリア帰国を目前にあれこれと呟いていたことをを振り返ってみる。母を連れてイタリア観光、地中海クルーズ、食べ歩きなどなど、やはり移動が中心。それが、まさかのパンデミックで外出禁止!

夏のあいだ、自粛モードとはいえ比較的自由がきく山で過ごすことができ、ジモティとの交流、栗拾いやマロングラッセ作り、それなりに新たな発見や出会いがあった。移動ができなくてもすることはたくさんあるわけで・・・。

とりあえず、2020年は家族がなんとか無事だったことがいちばんの成果だと思うし、2021年はその地点からのスタート。多くのことを望まず、現状維持でも十分くらいの気持ちでいこうと思う。







2020年10月16日

母、86歳、イタリアへ移住する〈秋の山暮らし〉⑫ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈vita autunnale in montagna〉




冬は、糸紡ぎや編物、機織りをして過ごすことが多く、夏のあいだに育った和棉を糸にするのがここ数年の楽しみのひとつ。

和棉紡ぎとの出会いは東京の用賀にあった東京コットン・ヴィレッジというジャズ・クラブ。マイ・ボトルならぬマイ・スピンドル(糸紡ぎの独楽)をお店に据え置き、仕事帰りのサラリーマンがジャズを聴きながら独楽を回す姿がシュールというか、可愛いというか。

原毛の糸紡ぎや機織りも好きだけれど、こちらは羊を飼うところから始めるのはちょっと無理。和棉なら種から育てるのもありかも、ということで、ローマで和棉を栽培することになった。最初の年はベランダで鉢植え栽培、でも、それでは埒が明かないほど少量なので、自家菜園をしている山の友だちに頼んでみた。快諾!2017年の暮れに最後の収穫の綿をどっさりといただいた。



2017年から2019年の暮れまで、いろいろとあって手つかずだったが、母の移住手続きが終わってほっとした段階で、まずは、栽培してくれた山の友だちに紡いだ糸で手織りの布を作ることに。これは、写真の木製フレームに5ミリ間隔で交互に釘を打ちつけて自分で作った機織り機で一本一本糸を通して織るという気の遠くなるような作業。でも、彼らは、それでは足りないくらいの労力と思いを注いで育ててくれたので、感謝の意も込めて、クリスマスにもなんとか間に合った。




コロナ禍のロックダウンを利用して残りの綿を糸にする作業は、母もきっと手伝ってくれるだろうと期待していたが、「よくそんな面倒なことできるわね」とあっさり😢 仕方なくひとりでせっせと紡いで、なにを作ろうか迷った末、ショールに。




母は、移住してからずっと編物に専念し、リビングの食卓の定位置で来る日も来る日もセーターを編み続けた。編物は母にとってのセラピー。制作意欲も衰えることはなく、雑誌をながめてあれこれ迷ったりして楽しんでいる。

最近は、小さな文字で書かれた製図が読みにくいらしく、大きく書き写してテーブルの前に置いてあげる。ときには、手が勝手に動いてしまうのか、間違ったまま編み進んでしまって、解いては編みなおす、その繰り返し。達成感というのを味合わせてあげたいので、完成することが大前提なのだけれど・・・時間はたっぷりあるので、慌てず急がず、ゆっくりまったり。



上の写真は母が編んだふわっふわのとっくりセーター。ちなみに、いまは頑張って次男のVネックのベストを編んでいます。わたしは、アフガン編みにハマっています。



↓和棉についての過去日記

種から布まで、土の温もりを感じながら農的時間を過ごす豊かさ

寒い冬はコットンを紡いで過ごします




2020年10月9日

母、86歳、イタリアへ移住する〈秋の山暮らし〉⑪ Mamma, 86 anni, si trasferisce in Italia, definitivamente! 〈vita autunnale in montagna〉




夏のあいだだけというつもりの山暮らしが10月いっぱいに延期になったのは、ローマのコロナ事情で外出の多い息子たちとの接触を避けるため。夫とわたしも危険年齢ゾーンだし母も高齢(87歳)なので、リスク・マネージメントを最大限拡張することになった。昨今の温暖化で10月もまだ暖かいに違いないと高を括っていたけれど、標高700mの古家は足もとから深々と冷え込む。

さすがに屋外の温泉プールは打ち切りとなり、10月は栗拾いがメインテーマとなった。そもそも、この山はほとんどが栗林、行けども行けども栗ばかり。ところが、ここ10年ほどは害虫が蔓延って(チニピデ・ガリージェノという中国来の虫=蛾の一種で、日本から輸入された栗木から伝染していったといわれる)栗の実はひとつもできなかった。それが、今年は、晴れて駆除に成功、町中に活気が戻ってきた。


我が家も一片の栗畑があることはあるが、管理は従弟に任せてあって、結婚30年来一度も足を踏み入れたことがなかった。栗拾いに憑りつかれてしまった母、車道や空地に落ちている栗はほとんどが拾われ尽くしてしまったし、親類や友だちは連日収穫で忙しく(外国人労働者の減少で人手が足りない)遊び半分でわたしたちがお邪魔するわけにもいかない。そこで、従弟に聞いて我が家の土地で栗を拾うことになった。


栗は、時期によって落ちる種類が違うが、その日はブーシュという大粒のマロン種がたくさん落ちていた。土地一面のイガイガを見たら、やめられないとまらない母。両手にいっぱいになるまで腰をかがめたまま拾い続ける。「真直ぐに立てなくなっちゃうよ」と言っても聞く耳持たず、ただひたすら拾う母。ひとつも残したくないという勢い。

そのブーシュは、大味で形が崩れやすいので、ここでは茹でて潰して「カスタニャッチョ」というお菓子にするのが主流なのだそう。これは、トスカーナのレシピとは違って、栗粉に溶かしたチョコレートと砂糖、ラム酒を和えて捏ねた、いわばチョコ栗きんとん。

大きく(1粒40グラムほど)て形も綺麗なブーシュを粉にするなんて、なんてもったいないこと!しかも、マロングラッセ用に需要があるので卸価格も他の種類より高い。それを粉にするなんて…。

そんなごく自然ないきさつで、ド素人のわたしがマロングラッセに挑戦することになった。ところが、マロングラッセというのは、これまた手間のかかる一品で、栗にもよるのでしょうが、一週間くらいかかってしまう。なんちゃってマロングラッセなら3日くらいでできるけれど、あの独特のもっちりしっとり感はない。

ちなみに、マロングラッセの起源は、フランス説もあればイタリア説もあって、本当のところは不明。ピエモンテの栗の産地クネオで16世紀にサヴォイア王朝の男爵カルロ・エマヌエレのために作られたという説は、1790年に出版された『Confetturiere Piemontese』という書物にレシピが記されていることから有力とされるが、16世紀のリヨンが起源というフランス説もある。

いろいろなレシピで試行錯誤を続けながら、台所には常時シロップ漬けの栗の鍋が2つという、我が家では前代未聞の光景。まったく栗を煮ないレシピもあれば、先に火を通してから砂糖漬けにするもの、分量もマチマチで、栗の種類とおそらくは水とか火加減、砂糖の量、すべてを調整しながらという、コレという決め手がないというのがこのお菓子のレシピなのかも知れない(調理というのは往々にしてそういうもの・・)

ハードルが高すぎるとも思うけれど、栗の産地であるここのジモティたちに試食してもらいながらシロップ鍋とのおつきあい、「10月もまだここにいるの?」と不満気だった自分に異変が起きている!


10月のこの町の目玉といえば栗フェス(Sagra di Castagne)、今年は、生憎コロナで中止だが、来年はきっと収束して開催されるに違いない。もし、このマロングラッセがうまくいったら、友だちのブースで出させてもらったりして?そんな楽しみがちらつき始めたらやる気も出るというもの。

10月もここで過ごすのは、たぶん、おもしろい。