2022年8月17日

母、89歳のイタリア生活⑤  Mamma, 89 anni, si gode la vita all'italiana




夏の山暮らしもすでに2ヶ月が経過、環境が変わるたびに戸惑う母だが、週3回の温泉プール通いのルーティーンにもようやく慣れた。今年は6月初旬からすでに熱波に見舞われ始め、ローマを早々に離れたのだけれど、標高700mのここでも昼間はうだるような暑さ、ここで朝から扇風機をつけたのは今年が初めてだ。

心臓疾患のため温泉プールをとめられていたが、そんなの関係ない!と泳ぎまくる母。利用客のなかではおそらく最高年齢、プールサイドのバールでも顔パス、朝食のカップチーノとコルネットがおのずと出て来る。

栗林の山では豊作が期待できそう。どこもかしこも栗、栗、栗。ただ、今年はイノシシの被害が増加していて、夜になると大群で出没するため村中の犬が大合唱となる。穏やかな山の暮らしはどこへ行ったのか。窓を開ければ山焼きの煙(これは栗拾いの支度なので致し方ないとしても)、早朝の山仕事のトラクターの爆音、フェラゴスト(8月15日の聖母マリア昇天の祝日)周辺の連日連夜のお祭り騒ぎ・・・。騒々しい8月が過ぎると栗拾いが始まり、当分のあいだザワザワするのだろう。そして、10月からは栗フェスが開催される。コロナで2年停滞していたので今年は大々的に行われるに違いない。

ここの暮らしの難点といえば、村人のバリアの高さ、夏のあいだだけしか来ない(といっても4ケ月もいるのに!)部外者とは深くおつきあいしないという部分は徹底している。ところが彼らは好奇心の塊、少しだけ知りたい、少しだけ触れ合いたいというオーラで包まれている。小さな情報がひとり歩きして、尾ひれがついて、まったく別の物語が出来上がってしまっていたりする。もうひとつ気がついたことは、究極の村人に限らず一般的にここらのひとは開口一番「(息子に)彼女はいるの?」と、親でも気を遣うデリケートな領域にズカズカ踏み込んでくるということ。そこで、なぜなのかちょっと考えてみた。彼らにとって結婚はひとではなく家どうしのつながり、親類縁者の系図のなかで生きているといっても過言ではないので気になって仕方がないのだ。国際結婚がないわけではないし、移民としてアメリカに渡ったひとも多いのでオープンマインドなはずなのに・・・。夫はただただ破天荒なアヴァンギャルド、幻の日本人女性との結婚でなにかが変わったのだろうか・・ここはわたし(母も)にとっては異次元の迷宮、それはそれでまたワンダーランドっぽくて面白いんだけど。

ワンダーランドといえば、去年の夏、次男と海から山へ車で帰る途中、道を間違えて知らない村に入り込んでしまった。広場にたむろするひとたちは、中・高齢者なのだろうけれど子どものように目が輝いて、いきいきしていて、服装も子どものようにカラフルで・・「あ、ここは時間が止まっている」と思わずにはいられない。閉ざされた世界というのはこういうことなのね。そこを通り抜けて少し行けば大きな病院、いたって普通の世界があるのに(笑)

母はというと、最近はYouTubeで生まれ故郷の動画を観るのがもっぱらのブーム、テレビに父方の在所が映し出されるのが嬉しくて仕方がないみたい。ユネスコの無形文化遺産や指定文化遺産の観光名所で少なからず動画が存在している。毎日同じ動画でもあたかも初めてのように喜んで観ている母、一服の精神安定剤の役割を果たしてくれて本当にありがたい。わたしも母の歳になったら幼少時代によく遊んだ公園の動画で癒されるのだろうか・・・。

ここのところ眼が疲れるのか編物をしなくなった母に機織りを教えてみた。準備した縦糸に横糸のシャトルを左右に動かして通すだけ。でも、新しいことに挑戦するのはなかなかしんどそうで、長続きしなかった。やっとのことでマフラー1枚だけ織りあがった。




わたしは、この夏の、いや人生の一大イヴェントともいえるラヴェッロの音楽祭をのぞいては(9月3日にもう一度行きます!)、相変わらずアランのセーターを編んでいて、そのあいまの気晴らしに細いコットンで大判ショールも織ってみた。



変わったことといえば、昨年モザイク・アーチストさんに依頼していた装飾が完成した。デザインは庭に植えてあるクサギと小鳥の水飲み場をそのまま絵にしたもので大理石だけで作っていただいた。飾る壁はここの休火山の岩石を用いているのだけれど、まるで壁から自然に生まれ出たような作品。さすが、アーチスト、奥深いものがあって感動・・記念碑にしようと思っています。 










2022年6月12日

母、89歳のイタリア生活 ④ Mamma, 89 anni, si gode la vita all'italiana

 



年々夏の訪れが早まっている。ローマも5月半ばごろから暑さが増し気温が下がる気配もなく山の家への移動を少しだけ早めた。母にとって3回目のイタリアの夏だ。

慌ただしい荷解きのあいだの状況が読めない母に、

「去年と同じように秋までここにいるんだよ」と説明してもすぐに理解できないらしくハンドバッグを抱えて玄関にずっと座って待機している母、頭の中をなにが過っているのか、未知数、異次元・・。

「(邪魔だから)もう帰らなあかん」、混乱するといつものが出る、日本の生まれ故郷に帰らなあかんという意味でわたしたちもこの現実逃避の口癖にはもう慣れた。スルーする。

到着とともに気温が下がり、家のなかではセーターと靴下を着用するほど。そんななか夫が発熱、まる3日間うなされた。PCR検査で陰性とわかるとすぐにお医者さまが来てくれた。幸い風邪ということでようすみ。

庭のテイカカズラの花が満開で家のなかまで香りが漂ってくる。泰山木もすくすくと伸び(というか伸びすぎ・・)、去年の秋に植えてもらったフジもいまのところ順調。

去年の夏はブーゲンビリアとゴジも植えてみたけれど残念ながらひと冬で枯れてしまった。陽当たりが悪すぎる。

6月半ばはまだ学校の試験があったりするし、完全に夏休みに入ったわけではないので村の生活もオンタイム。夜ぐっすり眠れるのがありがたい。贅沢な悩みかも知れないけれど鳥の囀りがすごい・・・。

来週あたりから母もずっと楽しみにしていた硫黄の温泉プールに行ってみようと思う。








2022年3月17日

アランが好きなわけ ②

 


ネットで見つけたアンティーク・アランセーターの写真(上)から編図を起こして実際に編んでみました。なんども試し編みをして模様を再現するわけですが、なかなか大変な作業でした。


練習のつもりで使った糸はごく一般的なウール、写真のセーターのように目のつまった風合いは出せませんでしたが、出来上がったときの嬉しさは半端ありませんでした。次回はアイルランド製のアランの糸で編もうと思っています。


ここで、アランセーターの歴史についてちょっとおさらい。スコットランドの漁師たちのガンジーセーターがアイルランドの漁港に伝わり生まれたのがアランセーターですが、もともと定番の色は紺色、それが白になったのは、アラン諸島の男の子たちの堅信式の「晴れ着」が関係しています。

アラン諸島には「男の子は悪魔に拐われる」という言い伝えがあり、小さいうちは女の子と同じようにワンピースのような赤い服が着せられていました。男の子の格好ができるのは12歳の堅信式の儀式から。お母さんたちによって白いセーターが晴れ着として編まれるようになりました。20世紀初めのことです。

1920年ごろには、アメリカ帰りの手編みの天才マーガレット・ディレインの指導のもとに、島の女性たちが競うようにさまざまな柄を編み出したとのことです。



これは商業化される前の装飾性の高い作品で1937年製。この写真からも模様を起こして編んでみました。









後身頃


後身頃の模様は写真が完全ではなくてイマジネーションを駆使させました。肩の部分は技術不足でどうしても写真の通りにいかず、悪戦苦闘の末に簡略化せざるを得ませんでした。糸はイタリア製ですがスペインから逆輸入しています。しっとりと滑らかで柔らか、重厚なアランセーターの風合いとはほど遠いものになってしまいましたが着心地は抜群です。次回はこちらもアイルランド製の糸で編んでみようと思っています。


そして、この二つの体験を経て、今度はオリジナルのデザインに挑戦してみました。といっても、気に入ったアラン模様を選んで構築したものですが。



使用したのは今度こそアイルランド製のアランの糸です。重みのあるかちっとしたセーターが出来上がりました。実はこの糸、以前に紡いだロムニースナイバーの糸と風合いが似ていて、アランのような自然の風合いを出すには紡いだ糸が良いのかも知れません。厖大な時間をかけて一生ものをひとつ制作するのも楽しそうです。






母、88歳のイタリア生活 ④ Mamma, 88 anni, si gode la vita all'italiana

 


2021年末、変異株オミクロンの猛威でイタリアはクリスマスもお正月も返上ムード、わたしたちのところまでコロナの影響は及んだ。わたしはクリスマスの前日までブースター接種の副反応で熱が出ていたし、クリスマス明けには陽性者との濃厚接触の疑い、余儀なく自主隔離生活を強いられた(オミクロン対応で規制は緩いものだったけれど)。

そんななか母の白内障の手術日が決まった。前々日には薬局で抗体検査の陰性証明を取り、前日の朝は8時に病院へ出向いて血液検査と心電図を撮る。なにゆえ3時間もかかるのか、コロナのせいでのろのろなのか、ようやく検査と支払いを終えて翌日の手術を待つのみとなった段で、眼科医から「心電図に異常が見つかったので手術は保留となった、病院に話を聞きに行くように」との電話。青ざめて夫と二人で病院に駆けつけると「発作のような心電図だからすぐにでも検査せよ」と。

「・・・・?」

わたしたちには思い当たる節はまったくない。母は穏やかでいたって元気なのだ。

翌々日、心臓内科を受診したときにはじめて書類に添付されたその心電図が別人のものと判明(わたしたちは動転していて気づかなかった)、ドクターによればその「別人」ほどではないが母にもやはり異常はあり、手術が保留となったのは正解。そんなわけで、毎月ドクターの本拠地のクリニックに通院することになった。

ボルゲーゼ庭園の北にあるそのクリニックまでは歴史地区の乗り入れ禁止ゾーンを迂回しながらも多少は観光気分に浸れる道筋、月に一度のローマ縦断は悪くはない、帰途コリアン食材ショップに寄って和食材を調達するのも楽しい。東京オリンピックで一躍有名になった冷凍餃子、餃子の皮、有機納豆、有機豆腐、ポン酢、味噌、出汁の素、カレールー、そば、うどん、などなど。韓国の食材は品揃えが良いけれど文字が読めなくて未知の世界、よってパス。そして、コロッセオからチルコ・マッシモへ出て、カラカラ浴場の脇を通って帰って来る。

今日がその診察日だった。お世辞にも愛想が良いとはいえない強いて言うならば威圧的な雰囲気のドクター(もちろん腕は確かなのだろうけれど)が母のことを「フォルテ」と言うので、そのときは医者によくある親日家なのかと思っていたのだが、今日など心電図を見ながら感極まって「ファンタスティカ!」、「ペルソナッジョ!」と声をあげられた。この年齢で薬で心臓がみごとに返り咲いたことが素晴らしいのか、母の振る舞い(深々とお辞儀をして挨拶をしたり靴を脱いで寝台に上がったり…)が珍しいのか、診察室の隅で理解不能に陥っていたのだが、どうやらこれは母のことを絶賛しているからに違いない。

そういえば今日はいきなりヒロシマ・ナガサキについて母に聞いてきた。あくまで関心の対象は母であって、わたしは通訳、黒子、わたしではなくて母の意見が聞きたいのだと念を押された。「原爆が落とされたのをどうやって知ったのか」、「そのとき地響きを感じたのか」、「天皇陛下はなんと仰られたのか」などなど・・・そして、戦争など無意味なことだと無念そうにポツリ。

帰り際、意を決してなぜ母がファンタスティカなペルソナッジョなのか聞いてみた。「あの時代を生きたひとりの日本人であることが凄いこと」なのだそうだ。なるほど、その日本人の心臓を診ることがこれまた心臓の権威にとっては意味のあることなのかも知れない。ドクターはひとびとの「心臓」を通してどのような世界観を持たれているのか逆に興味津々。

来週にも89歳を迎える母、夏にはまた温泉プールで泳ぐのだと意気込んでおります。



2021年10月13日

4か月の硫黄温泉プールとファンゴセラピー




ローマから車で2時間ほどのところに休火山を中心に広がる州立自然公園がある。標高700メートルほどの山は栗林に覆われていて夏はとても過ごしやすい。定年退職した夫と母と3人、ローマが猛暑に見舞われ始める6月半ばごろから山暮らしを始める。ここはミネラルウォーター「フェラレッレ」の源泉地、近くには硫黄の温泉もあり、火山の恵みを大いに受けていて、しかも、わたしたちの町はその火山のカルデラの内側にある。上空からの写真でみるととても不思議な風景なのだ。ちなみに、この火山はそこから流れ出た溶岩に人類最古のホモサピエンス(ハイデルベルゲンシス)の父子の足跡が見つかったことでも知られている。

2019年暮れにイタリアに移住した母にとって今年は二度目の夏。いくらコロナのワクチン接種を受けたからといってまだ安心できない。グリーンパスポートを携えての旅行は先送り、健康のために硫黄の温泉プールに通うことにした。泳ぐのが大好きな母も異論はなく、週に3回のペースで、ときには親戚や里帰りの友だちも加わって、この夏の社交の場はもっぱら温泉プールだった。

なんといっても嬉しいのは、去年はコロナで閉店していたプール施設内のリストランテがリニューアルされていて、しかも洗練されたグルメ、ガラス張りの向こうは自然公園の緑が広がる絶景。こうして、午前中は温泉プール、ランチはここ、というパターンが4か月で40回以上も続いた。

その温泉プールも10月に入ると気温が下がって温水から出たときのギャップに耐えられなくなり、10日ごろには断念。その代わりにファンゴセラピーを始めることにした。ちなみに、母は高血圧なので残念ながらファンゴはお休み。

夫もわたしも関節炎を患っていて、しかもわたしは骨粗鬆症(ファンゴが骨粗鬆症に効くとは知らなかった!)冬が来る前に天然のお薬だと思って2週間(12日間)受けることにした。イタリアではオルタナティブ医療としてこのテルメ療法が広く一般に利用されている。保険適用で3割ほどの値段(12回で55€、安い!)、もっとテルメを!


施術は早朝7時から始まっているけれど、わたしたちは8時半にブッキング、待合の廊下はすぐにいっぱいになる。大型バスで近隣の町から団体さんがやってくるし、宿泊客も後を絶たない。

水着になってビニールシートで覆われたベッドに横たわる。搾採された熱々の泥(塗布するのは42度くらい)をファンギーナさん(ファンゴを塗ってくれる女性の施術者)が運んでくる。背中から肩、手、膝、足先にふんだんに塗られ、ビニールシートにくるまれ、その上に毛布をしっかりミノムシ状態。20分ほど蒸らしてシャワーで洗い流す。

ずっと「ファンゴなんて」と侮っていた夫も医者の友人の説得で気が変わったようだ。関節炎が悪くなればいずれ薬に頼らなければならなくなる。天然の泥が体内のコルチゾールを刺激して自治力が高まれば・・いやいや、やって悪いわけがないのだ、ファンゴは。しかも、ホテルに宿泊する必要もなく家から通えるロケーション、こんなにありがたいことはない。

イタリアの温泉地を調べてみたら、ざっと152ヵ所ほどあって(もっとありそう)、高齢化社会には人気のスポット。わたしたち、来年もしっかりリピートしそうです。

ファンゴセラピーの効能について:https://www.abano.it/Terme_Salute/Fango/fango_fa_bene.aspx

イタリアの温泉地:http://www.benessere.com/terme/italia/index.html




2021年9月12日

アランが好きなわけ ①






以前からちょこちょこ編んではいたものの、このコロナ禍のロックダウン(外出規制でお家時間が増えた)を機にアランにここまではまるとは思わなかった。複雑な模様が出来上がったときの達成感も去ることながら、その模様が生まれた背景や歴史も魅力的。いつか、発祥の地アイルランドのアラン諸島を訪れたいと思っている。

色はやはり定番の乳白色に落ち着いてしまう。糸は太目より細目の方が編み上がりがふわっとして着心地は良いけれど、本来のアランは太目の糸でしっかり目を積んで厚みを出すのが目的。海の男たちの防寒用なのだ。

いろんな模様にチャレンジしながらまだまだ続きそう。

次男のスキー用セーターはシンプルな縄編み

前立てのハニカム(蜂の巣)模様

コロコロ玉編みがしてみたくて

ボタンをつける前のカーディガンは裾と袖口が特徴

ガンジー模様

細目の糸で編んだラグラン袖

コットンで編んだガンジー模様のサマーアラン

あまった毛糸でマフラー

菱形が特徴のガンジー模様

裾、衿、袖口を輪編みにしたヴィンテージ風

2021年9月11日

母、88歳のイタリア生活 ③ Mamma, 88 anni, si gode la vita all'italiana

 



ウィズ・コロナ2度目の夏、母にとっても2度目のイタリアの夏になる。

ローマから山の家に移って3ケ月、週3回のペースの硫黄温泉プールとランチの半日コースは9月に入ったいまでも続いている。硫黄の即効的効能には驚くばかり、母もわたしもスベスベ肌だが真っ黒に日焼けしてしまった。

8月になると、ワクチン接種証明「グリーン・パス」でいろいろなことが可能になった。周りではプチ旅行に出かけるひとも増え、わたしもどこかに行きたいとは思ったけれど、夫は根が生えたように山から動かないし(これは、今に始まったことではなく、コロナだからということでもない。結婚以来ずーっとこんな調子)、唯一の楽しみの息子との旅行も今年も実現せず、彼はグリーン・パスを手にシチリアの友だちのところにさっさと行ってしまった。ひたすらプール通いで憂さ晴らし。贅沢!

夏の楽しみのひとつはここへ里帰りする友だちとの再会、久しぶりにプールで合流した。スイスイ泳ぐ母を横目に話題はおのずと介護のことに。とはいっても、母は、まだらプチ呆けはあるものの、身の回りのことは自分でできるので、介護というより付き添い・手助けくらいかも知れない。

心理学者の彼女によると「介護鬱」になるひとの悩み相談が多いのだという。「お年寄りの住む世界はわたしたちの理屈とは違うの、こちらの期待どおりになると思わないこと」と諭された。彼女だから話せたこともたくさんあって、気持ちが軽くなった。

久しぶりに会った従妹と温泉につかりながら話したのもやはり介護のことだった。数年面倒をみたお義母さんは認知症を患っていた。悲しいかな、いちばんお世話してくれている嫁がだれだかわからなくなり、ロシアから来たお手伝いさんだと思っていたそうだ。

「そんなときも決して否定してはいけないの」と満面の笑みで答える従妹。悲しみや憤りもあっただろうに、彼女の強さが垣間見えた瞬間だった。始終愚痴をこぼすじぶんはなんて小さな人間なのだろうと猛省。

硫黄の水と光のなかでまったりと過ごす時間に身体と心が癒された。

ローマからそう遠くないこの山も、温暖化とコロナの影響でひとが増えたような気がする。B&Bが続々とオープンし、これまで救急だけだった保健所もちゃんとしたのができるらしい。町のジェラート屋さんはリニューアルしてケーキ屋としても充実(←この夏いちばん嬉しかったこと)、そのお向かいに日用品のチャイニーズ・スーパーマーケットもオープンする。町の小売店はあまり良い顔をしていないけれど、ビジネスはビジネス、競争社会なのだから仕方がない。今でこそアマゾンで調達できるようになったものの30年前のここにはモノがなくて、特に日用品は「いまいち」なものばかりで困ったものだ。わたしは、内心楽しみにしている。

栗山の村では秋の収穫の予想でもちきりだ。どうやら、この春の悪天候のせいで今年の初ものは実りが悪いらしい。少し後になって生るナポレターノとブッシュという種類も去年ほど収穫はなさそうだ。マロングラッセ作り、どうなることやら。栗の木を眺めながら「また拾いに行かなあかんね」とつぶやく母。

賑やかな夏が終わり、秋から冬へと移ろうころになると、圧倒的な山の重圧感に圧し潰されそうになる。この山で生まれたわけではないじぶん、もはや根なし草のじぶん、「世界の果てにいる」という感覚だ。いつも適当にやり過ごし、そうこうしているうちに夏が終わって下山してしまう。でも、どうだ、今ここには「へその緒ルーツ」の母がいるではないか。奇跡だ!

ときどき、母はだれなのだろうと思うことがある。なぜイタリアに来たのか、なぜここにいるのか。よく第二の人生、第三の人生と言うけれど、今ここで、母は何番目の人生を送っているのだろう。