2016年5月12日

聖パオロ大聖堂   San Paolo fuori le Mura






大学の先輩とピラミデでお寿司をご一緒した帰り、散歩がてらローマの四大聖堂のひとつ、聖パオロ大聖堂を見学することにしました。

この大きな聖堂の黄金に輝くモザイクは、いつも車で通りかかる道からもよく目に入り、かねてから行きたいと思っていました。







この大聖堂はローマ時代の町を囲む城壁の外にあるのですが(フォーリ=外、レ・ムーラ=壁)もともと紀元前1世紀から紀元後3世紀まで墓地だったところ。処刑されたパオロのお墓もここにあり、紀元324年にコンスタンティヌス1世によってパオロを祀る聖堂が建てられたというわけです。

その後、テオドシウス1世のときに今のような大きな聖堂が建てられたのですが、1823年の火災により焼失、現在の大聖堂は忠実に復元されたもの。














  

聖堂内ではちょうどパイプ・オルガンとオーボエの演奏があり、祭壇の後方のモザイク画のしたに腰をおろし、しばし美しい音色に聴き入りました。

ここにある礼拝堂のひとつ「秘蹟の礼拝堂」こそ、1540年にロヨラが請願を立て、イエズス会が創立した場所。そうとは知らず、その十字架のある礼拝堂を先輩と訪れていたのでした。






ローマでもっとも美しいといわれる回廊。ここだけは火災をまぬがれたのだとか。






古代墓地の出土品



石棺





















ここはヴァチカンの管轄なのでしょうか、敷地内にあった郵便ポストには、ヴァチカンの切手のみ郵送できますと書かれていました。そういえば、憲兵、警察がいて、X線の手荷物検査もしたり、サン・ピエトロみたいだったし、テロを警戒してか銃を抱えた兵隊も・・。
 
パオロが斬首されたのは紀元63年(一説では67年)、それから2000年近くたっているわけだけど、今の世界を見たらなんて思うかな。

帰りにバールに立ち寄ってひと休み。スケールが大きなものに触れるのも、たまには良いものですね。













2016年5月9日

母の日をトラステヴェレで Festa della Mamma in Trastevere






母の日の昨日、ローマで最も古い地区といわれるトラステヴェレを日本から立ち寄った友だちと終日歩き廻りました。

数え切れないなかから彼女たちが選んだのは修道院を改装したお洒落なホテル。古代遺跡のある中心にも歩いて行けてとても便利です。





ポプラ並木のトラステヴェレ通り



日曜日の朝は近くのポルタ・ポルテーセでメガ・メルカートが開かれるので、見学。


ポルタ・ポルテーセ


そして、この地区の中心的存在であるサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会へ。ローマ最古の公認キリスト教礼拝所だったところに紀元3世紀に法王カリストゥス1世が創設したのだそう。ここは、やがて聖母マリア信仰の中心となりました。









Olea Sancta


紀元前38年にこの場所から黒油が噴出、メシアの到来かといわれた伝説があるそうです。




聖フランチェスコ・ア・リーパ教会

ベルニーニのルドヴィーカの法悦



お昼は小路のリストランテで。行列のできる人気店とは知らずに入ったのですが、その名もL'Arco di San Calisto、ローマ料理を堪能しました。



ティべリーナ島

ユダヤ人地区ゲットー



一日の終わりの会話のなかでは聖母マリアのお膝もとにいたせいか、渡辺和子さんの著書『置かれた場所で咲きなさい』も話題にのぼったのでした。

家に帰ってみると机の上には、まる一日自由な時間をくれた家族から母の日の贈りものが・・・。

これから、わたしが置かれた場所でできることってなんだろう。

咲くためにはどうしたらいいのか、とりあえず、この本を読んでみよう。







2016年5月7日

種から布まで、土の温もりを感じながら農的時間を過ごす豊かさ






トウキョウ・コットン・ヴィレッジで種をいただいて、
ローマで育ててみた和棉。
育つかどうか分らなかったけれど、とにかく試験的に蒔いてみました。




すると、夏にはこんなに綺麗な花が咲いてくれました。



そして、八月の盛夏には実が弾けて綿の顔が。




どうしてこんなモフモフなものが生まれるのか、
不思議でしようがない(笑)





スピンドルでくるくる紡いで・・・

  


煮沸して撚りどめをして・・・





コットン・ヴィレッジで紡いだものとローマでできたこの糸を合わせても、
大きめのピンポン玉二つくらい。



そこで思いついたのがこの機織り機でした。
木製フォトフレームに真鍮の丸釘を5ミリ間隔で打って。




編物の棒針に糸を巻きつけてシャトルにし、
縦糸を一本ずつ拾って横糸を通して・・・





原始的な織物ができました。





ゆっくりと時間をかけて、種という点から糸という線になり、布という面になる、その経過を、頭ではなく手先で感じる、なんという豊かな時間だったことでしょう。

糸がもっとあれば大きなものができる、そのためにもっと種を蒔いて収穫する。でも、これは、そういうこととは無縁の出来事でした。

以前、「じぶんのところに寄せる波のなかにいる魚をいただく」という文章に、はっとしたことがありました。

遠くに探しにゆかなくても足もとになにもかもあるという意識を大切にしたい。いつからかそんな風に思いはじめていました。友だちも、人間関係も、遠くに探しにいかない。もちろん、物理的な距離のことではありません。

ここで今とれた綿は、わたしにとって、とても意味のある綿なのです。

種から布ができるまでずっと寄り添っていたのは、じぶんのなかに「そうしたい」という思いがあったから。なにかに動かされたというよりは、むしろ土と光と水さえあれば自然に芽生えてくる種が持つ力のようなもの。

そういう力はきっとひとの中にあったのだろうと思う。農的時間というのは、そういうことなのだ。

日本を離れてあちこち転々と根無し草的な人生を送りながら、小さな和棉の種との無言のやり取りのなかで得たものは、かけがえのないものでした。





紡いだジェイコブの糸で編む







この冬、紡いだジェイコブの糸で編んだセーターとカーディガンです。

カーディガンはすでに縮絨しています。

来シーズン、どんどん着て洗って、フェルト化を楽しみたいと思います。