結婚以来30年このかた、9月後半にこの山にいたことは一度もなく、今年はコロナ禍でわずかだった避暑客もいよいよいなくなって、寂しくなるやら落ち着くやら複雑な心境だったが、とにかく町には平常の生活が戻ってきた。この時期のひとびとの最大の関心事は栗。いつ、どの種類がどれくらい収穫できるか、雨はいつ、どれくらい降るのか、などなど。この山は、見渡す限りが栗の木に覆われていて、夏のあいだはせっせと草を刈って焼いて、秋の栗拾いに備える。まとまった雨さえ降れば本格的な収穫作業が始まるのに、なかなか降ってくれない日々が続いた。
今週になってようやく天気が崩れ出し、ひとびとの期待が高まった。と同時に、ここに来てから青々とした夥しい数の実を遠目に見ながら、それをずっと待ち望んでいたひとがいる。
雨が降った後、水分で重くなったイガイガが地面に落ちて割れ、実があちこちに散らばっている。車道ではタイヤに踏まれて潰れるものもたくさんある。
「もったいない・・」と母。
もったいないといえば、夫もまたもったいながりやで、野生のイチジクやインド・イチジクの実が熟して落ちてしまうのを放置できないタイプ。温泉プールへの道すがら、そういった木がいくつかあって、捥ぎどきを虎視眈々と狙っているのだ。イチジクなら簡単に捥げるが、インド・イチジクの方は、サボテンの実、棘がいっぱいで手で触れることができない。長い棒の先にナイフを取りつけてギコギコ、細心の注意を払いながら容器に収めて持ち帰るといった難易度の高さ、技を要する。「そこまでしてやる?」と思ってしまうのだが聞く耳持たず。言い出したら聞かないのは母も同じで、どうやら山育ちどうし気が合うのかも知れない。食べものや味の好みまでよく似ていたりする。
さて、雨が降ったところで、さっそく、母を連れて栗拾いに出かけることにした。私有地には入れないので、車道に落ちている栗が拾えるところに出かけると、あるわあるわ。まだイガイガのなかに籠っている実は、両足で挟んで開いて取り出す。拾い出したら止まらない、もっともっとと夢中になる母のなかでは、幼いころの栗拾いの記憶が鮮明に蘇っていたようだ。栗を拾って時空を超える母!「また明日にしよう」と、適当なところで打ち切らなければいつまでも拾っていただろう。
家に帰ってさっそくオーブンで焼いてホカホカをいただく。そうだ!ヴィン・サントも買い置かなければ!
この雨がもう少しまとまって降れば、来週にはポルチーニが顔を出すはず。山歩きがてら気合を入れて探してみようと思う。もちろん、母も一緒に。
↓この山に関する過去日記