サンタ・マリア・カプア・ヴェテレ(旧カプア)はローマ時代のアッピア街道の最初の終着点(後代ベネヴェントを通ってブリンディシまで延長された)でローマからナポリへ南下するにも必ず通る要所。
紀元前数世紀からエトルリア、サム二ウム文化を経て古代ローマに吸収されていくが、なんといってもコロッセオと規模的には同等のアンフィテアトロ(闘技場)があり、グラディエーター(剣闘士)の養成所もあった場所。ローマの敗戦国からの奴隷、出稼ぎ、あるいはスターになるために養成所にやって来る者もいたのだとか。
キリスト教が公認されてからすべてのローマ遺跡や異教文化は排除となり、崩され、奪われ、廃墟と化す。この闘技場の大部分(外壁、柱、上部2階部分がすっぽりとなくなっている)も教会などの建築資材として持ち去られてしまった。
ところが地下部分はほぼ形状を残していて、保存状態も良好、階下に降りて見学することができる。カプアの語源は「沼地」に由来しており、その名の通り雨の多い季節には地下部分は水浸しになることもあるとのこと。それが幸いしてか資材を持ち運ぶことができなかったのかも知れない。
闘技場の横にはグラディエーターの博物館もあり(小ぢんまりしているが)、広い公園は市民の憩いの場所のようだ。
ここから徒歩で10分ほどのところに考古学博物館とミトラ教の神殿もあり闘技場の共通券で入場が可能。
ミトラ神殿は紀元前2世紀ごろローマ時代のもので1922年建築作業中に偶然発見された。密儀宗教のため残された資料や情報が少ないが、ミトラ教はオリエントが発祥の地、カプアでは東方から来た剣闘士が伝え広まったのではないかと言われている。
7つの厳しいイニシエーションを経て入信が認められ、ミトラ(太陽神)が屠った牛の血を頭からかぶって力を授かるのだとか・・。
地下へと階段を下りて行くと細長い空間があり、正面奥にミトラ神が牛を屠るフレスコ画がある。色も鮮やかで空間は宇宙をイメージしたフレスコ画で飾られている。手前の両脇には聖餐の儀式のための横臥食堂が並んでいる。
ガイドさんに「ミトラ神って聖ミカエルに似ていますよね」と尋ねてみた。キリスト教はミトラ教との共通点が多く布教のためにミトラから取り込んだ要素も多いとの返答。例えば、12月25日の冬至(太陽が成長期に入る)は実はミトラ神の生まれた日とされており、キリストの生誕となったのもこれに由来するのではないかと。
旧カプアを後にし歴史博物館のある新カプアへと場所を移す。新しいとはいえ紀元9世紀ごろにできた町で旧カプアから数kmのところにある。
ロンゴバルディ教会前にはカプアこそイタリア語発祥の地と記された記念碑が建てられいるが、フリードリッヒ2世の宮廷があったパレルモではすでにイタリア語文化が花開いていたので多少の疑問は残ったものの、フリードリッヒ2世が練らせたカプア憲章と呼ばれる条例はラテン語ではなくイタリア語であることからカプア発祥とされたのかも知れない(自説)。
歴史博物館で特筆すべきは地母神の多さ、その数に圧倒される。この辺り一帯が豊饒の地として長いあいだ栄えたことがうかがわれる。
遺跡巡りとセットのご当地ランチ、今回はカプアから5kmほど内陸に入ったところにあるサン・タンジェロ・イン・フォルミスまで足を延ばした。山麓に発達した小さな町でベネディクト修道会のカテドラル(6世紀)がある。
内壁一面に描かれたブルーを基調としたフレスコ画の美しさに目を奪われる。前庭からの眺めは左手のソレントから右手のファレルノまで見渡せる高台になっており、異変があればすぐに察知できるストラテジックなロケーション、サラセンの海賊が攻めて来たらご本山のあるモンテ・カッシーノにすぐさま使者を送ったのではないかと思われ、さすがベネディクト修道会。
ランチをいただいたレストランはカテドラルのすぐ横、窓からの眺めも内装もお料理も申し分なかった。
アッピア街道が世界遺産に登録されたことで、この辺りに埋もれているローマ遺跡(まだまだたくさんある)が今後少しずつ整備されていくことを期待したい。帰路、街道沿いにあるカレスの遺跡に立ち寄ってみたけれど、悲しいかな、とても立ち入れる状態ではなかった。ここにも半円劇場やテルメなどが埋もれているのだが・・。