古代サム二ウム人の最も重要な古代遺跡群(紀元前4~5世紀)のあるピエトラアボンダンテ(モリ―セ州イセルニア県、標高1000m)を訪れた。
サム二ウムは現在のモリ―セ、カンパーニャ、アブルッツオ、プーリア州に渡って広く定住していた人々で、連邦共和制の形態をすでに築いていた。
この遺跡のあった場所は、政治・宗教・公的行事の場として長いあいだ守られてきたが、ローマに敗れてからはローマ人に引き継がれ、やがてキリスト教の広まりと同時に廃墟と化していった。(第2次ポエニ戦争でローマに加担した罰としてハンニバルによって破壊されたというエピソードもある)
遺跡群はピエトラアボンダンテの町に入る手前のなだらかな傾斜に広がっており、冬至に太陽が昇る方角を向いている。視界を遮るものは一切ない。ピエトラ(石)アボンダンテ(たくさん)の名のごとく、資材にはこと欠かなかったことがうかがわれ、規模は大きい。
半円劇場と神殿がセットになっている遺跡はサム二ウム人の特徴で(ローマは神殿とセットにしない)、政治・宗教・公的行事に利用されていた。ギリシャのアゴラ的な機能を持っていたといわれる。
劇場の下から5段目までは座席の背もたれが湾曲した2人掛けソファタイプ、今でいう腰椎に優しいランバーサポートタイプ、オリジナルが当時のまま残されている。
手摺にはグリフォン(上半身鷲下半身ライオンの伝説の生き物)の足が象られ、天空を支えるアトラスの像なども施されている。ローマ時代にはさらにボッテーガや新たな神殿も追加された。サム二ウム人は自由を愛しローマととことん戦うことを選んだ人々。この山あいならば彼らの方が有利だったことは一目瞭然なのにローマの勢いは彼らをも支配してしまった。
遺跡巡りのお楽しみご当地ランチはタベルナ・ディ・サンニーティで。自家製パン、霜降りがとろける生ハム、カチョチーズと卵をこねたパロッテ、タコッツェという手打ちパスタ、子羊の炙り焼き、カチョ・ペペのパスタを賞味。
午後はそこから車で30分ほどのところにあるカステルペトローゾの大聖堂に行ってみることにした。ここはファティマやルルドのように聖母マリアご出現のしるしに1880年から建造開始され1975年に完成された新たな巡礼地で、緑を背景に聳え立つ姿はガウディのサグラダ・ファミリアを彷彿させる存在感がある。宗教画もステンドグラスも渾身の作、ぬくもりを感じられる大聖堂だ。
モリ―セからの帰途、ほんの1~2時間の車の移動で景色も文化も変わるイタリアの多様性を思わずにはいられなかった。
わたしたちが夏のあいだ過ごすロッカモンフィーナはカンパーニャ州最北端の休火山のカルデラに発達した町。北はラッツィオ州、東北はアブルッツオ州、東南はモリ―セ州と接しているけれど山そのものはカンパーニャ州に属している。色々な州から影響を受けつつどこにも属していない独特な空気感がある。
火山のカルデラは湧き水に恵まれ土地も肥沃だ。人々はその恩恵を受けつつ栗の収穫を生業としている。その収穫に要する日数は年に一か月にも満たない。「働かなくてもやっていける」ゆとりのある暮らしも昨今は若者の流出、少子化、高齢化により収穫の人手が足りず外国人季節労働者が増えている。
さまざまな影響を外部から受けつつカルデラの内側で反芻しながら成長する町であって欲しいと願ってやまない。
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