次の目的地はクレタ島。クノッソス神殿とアギオス・ニコラウスという島周遊のエクスカーションにUS友たちと出かけることになった。今回は英語とドイツ語2人のガイドさんが乗車、バスの前方は英語、後方はドイツ語と別れて乗り込み、同時に2ヶ国語で説明しながらの運行。
クノッソス神殿は当時の想像図を片手に熱心に説明してくれたのでリアリティ、臨場感のある遺跡巡りに変身、ミノア文明の奥の深さが伝わった。ギリシャ・ローマ時代の遥か昔にその土台ともいえる文化を作りあげていたという知恵袋のようなクレタ島。神話の世界に引き込まれそうな時間だった。クノッソス神殿から1時間ほどバスで移動するとアギオス・ニコラウスという高級リゾートに到着する。その海岸には牛に化けたゼウスの上に座るエウロパの大きな像が。神話ではエウロパ→ヨーロッパはここから始まっていた。
ここで奇跡のようなお話をひとつ。日本に住んでいたので日本語ができるというUSご夫婦を紹介される。それが、わたしが結婚当時住んでいた東京の同じ区、同じ町、歩いて行ける範囲だったというから驚いた。そして、あろうことか、わたしが長男を出産した同じ病院でその奥さまも2か月違いで出産されていたのだという。もしかしたら、病院の母親学級で一緒だったかも・・。もしかしたら、近くですれ違っていたかも・・。
それから30年、一方はUSから、もう一方はイタリアから、クルーズのエクスカーションで同じバスに乗り合わせ、クレタ島まで来ちゃうというちょっとあり得ないお話。
そんなわけで、この日もめちゃくちゃ盛り上がり、ランチタイムは大テーブルを囲んでワイワイUS友たちと会話が弾んだ。話しているうちにみなキリスト教の信者だとわかり、納得。そもそもこのクルーズの最終目的地はエルサレムだったのだから。
クレタ島から帰った後はのんびりクルーズライフを楽しむ。その日の夜は、ホワイトデー、白いものを身につけての夕食らしい。意味はよくわからなかったけれど、とりあえず・・。
2日間の航海の後はジェノヴァ、エーゲ海を過ぎてイオニア海に入りメッシーナに近づくころ、再び海が荒れ始めた。この辺りはいつも波が高いのか、船は揺れた。メッシーナ海峡を過ぎてそのまま北上かと思ったら、シチリア島の北岸を航海、サルデーニャとコルシカが見える距離でジェノヴァへ向かっていた。地図上ではティレニア海をそのまま北に向かう感じがしたが、地球は丸い、二次元とは違う路線になるのだと友だち。納得。
悪天候のためか、人数が満たなかったためか、ポルトフィーノとサンタ・マルゲリータのリヴィエラのエクスカーションはキャンセルとなった。
ジェノヴァ到着の前日、強風のため船のどこにいても風がスース―していて、喉が痛くなった。ジェノヴァ散策は無理かも知れない、と思っていたら案の定、朝起きられず。薬を飲んでキャビンで休むことにした。友だちは、お目当てのペスト・ジェノヴェーゼと旧市街めがけて颯爽と出かけて行った。
キャビンで待機していたわたしはすでに翌日の下船のための荷造りを開始、前夜、キャビンの前の廊下にスーツケースを出しておいて、手荷物だけ持って下りる仕組み。重い荷物から解放されつつの旅は本当にありがたい。
下船はチヴィタヴェッキア。乗船のときも感じたことだが、トライアーノ帝の時代まんまかい?的な遺跡あるあるの古代ローマの港町、乗船客はシャトルバスでそれぞれ船まで送迎される。チェックインはパスポートを提示するだけ、オンボードカードを渡され手荷物検査を済ませ乗船。下船のときも同じく、自分のスーツケースをシャトルバスに積んでターミナルまで送ってもらう。そのターミナルの名前、Largo della Paceという。どこから取ったのか、トライアーノ帝に聞いてみたくなる。数日後のニュースで知ったのだが、このチヴィタヴェッキア港に対抗すべくフィウミチーノ空港にもクルーズの寄港地が建設開始されるとのこと。空港やローマ市内にも近くなれば、クルーズ船の数も増えるのではないかと密かに期待しているわたくし。
今回のクルーズは船を楽しむというよりは目的地を楽しむ方に重点を置いていたので、個人的にはこのコスパよくこれだけ網羅できて良かったと思う。次回は、船と寄港地の双方を考慮して選びたいと思うのでした。
==================================
ここで、今回のクルーズのあいだ家で留守番していた90歳の母のようすにも触れておきたい。夫が全面的に面倒を見ていたくれたのだが、息子たち二人の協力も間違いなくあった。母には、ずいぶん前から「〇〇ちゃんと旅行に行くからよろしくね!」と話してあったのだが、それがどんな旅でどれくらいの期間なのか詳しい説明はしていなかった。言ってもすぐに忘れてしまうし、わたしがいなくなって逆に「置いてけぼりになるのではないか」という妄想が膨らんではいけないと思ったからだ。それが、意外にも穏やかな日々を過ごしていたとのこと。初めはわたしがいないので家のなかを探し回ったりもしたが、そのうちに慣れて、食事も身の回りのことも問題なかった。なんとなくだが、ビデオ通話での母の顔から想像するに、わたしの無事を気遣っていたような気がする。次回のクルーズは母もと内心思ったりする。問題はクルーズではとにかく歩くということ。船がそもそも大きいので食事や娯楽のための移動だけでもかなり歩く。それに加えてエクスカーションに出ればもっと歩くことになる。車椅子か自力か・・ともあれ、一度は連れて行ってあげたいと思うこのごろです。