今回クルーズのお誘いを受けたのは昨年の暮れのことだった。2019年還暦祝いにと北欧~バルト海クルーズを計画した大学の同級生から再びお声がかかったのだ。当初9割がた無理だと思っていた。うちには90歳の母がいるし、わたしは股関節が悪くてさくさくと歩ける状態ではなかったからだ。
ところが、うちの家族は話がわかる。10日くらいなら母の面倒もなんとかなるだろうし、足腰の痛みもしっかり鍛えて治せば大丈夫だろうという。それからというもの、クルーズ計画に没頭する日々を送ることになった。
気になっていたコースはチヴィタヴェッキア、メッシーナ、ロードス島、キプロス島、エルサレム、クレタ島、ジェノヴァという東地中海航路。これがちょうど日程とマッチした。旅行会社に頼むまでもなく自らオンラインでブッキング。前回の北欧クルーズ同様、今回もクルーズ仲間3人で行くことに。
せっかくの数年に一度のクルーズなので各自下調べをしっかりしておこうということになり、積読状態だった塩野七生先生の『ローマ人の物語』を読みなおしながら、キリスト教関連、十字軍関連、とにかくこの巡礼クルーズに関するものならなんでも。とはいえ、地中海関連は奥が深くて数千年遡らなければならない。時間が足りない・・。
6月から出発10日前までの5か月ほどは山暮らしでのんびりと休養しながら山登りや温泉プールで鍛え、股関節に最適の運動靴とトレッキング・ポールもゲット。けれども、今回のクルーズの旅はあたかもだれかに引き止められているかのような出来事の連続だった。
この年齢になればなにもない方がおかしいわけで、一人は残念ながら家庭の事情でキャンセルとなってしまったが残りの二人はなんとか行けそうな雰囲気、最終決済とウェブ・チェックインが完了したと思いきや、エルサレムがあんなことに・・・。
土壇場のクルーズ会社は三つの選択肢を提案してきた。①無料で今回のクルーズをキャンセルする。②別のクルーズに変更する。③このまま続行する。
わたしたちは、迷わず続行を選んだ。ただし、航路は変更となり、ロードス島、キプロス島、エルサレムの代わりに、アテネ、イズミール、イスタンブールとなった。
読んでいた『ローマ人の物語』も最終巻に差しかかっていた。西ローマ帝国が滅びつつあるなか権力はコンスタンチノープルへ移り、いきなりの航路変更で、まさにその東ローマ帝国の都へ行こうとしているのだ。そして、イズミールからはあのエフェソスにも行ける。そう思うと、わたしにとっては嬉しい航路変更だった。
チヴィタヴェッキアから乗船した船は、今回のクルーズの後、お蔵入りするらしいと耳にした。それほど古臭いという印象でもなく、施設は整っているし管理もされている。リノヴェーションなのか。この会社、ここ数年のうちにぴっかぴかの新エネルギー船舶を数隻世に送り出している。いまや、クルーズは航路ではなくて船で選ぶ時代、動くテーマパーク。いや、動いていることすら感じないのかも。
最初の寄港地メッシーナまでは暴風でゆれっゆれ、タオルミーナのエクスカーションは悪天候でキャンセルとなり、徒歩で町を散策することにした。コロニアル風の建物はスペイン統治の影響なのか、南米のどこかの町にいるような感じがした。
わたしたちは、ただただ本場のシチリア菓子カノッリを求めて歩いた。サクサクの筒の中にフレッシュリコッタクリーム、これまで味わったことのない最高の食感、味だった。それから丘の上の教会まで足を延ばし、メッシーナ海峡を一望する。絶景だった。
メッシーナもあれですが、なんといっても印象的だったのはストロンボリ。イングリット・バークマンの映画『ストロンボリ』を思い出す・・。
ここでこの船の第一印象を述べると、クルーが無駄に愛想を振りまくような光景は1ミリもなくひたすら事務的対応(前回のアメリカの船はめちゃくちゃ愛想が良かった)、これも、コロナ禍後で意識の変化があったのかと思ってしまう。愛想よりも安心・安全な航海に真剣に取り組む、というような姿勢。
そして、イタリアの船なのに、あれ?と思うほどイタリア語ができるクルーが少ないのに驚いた。実は、この船は5か国語対応を売りものにしているらしく、避難訓練などは多言語は確かにありがたいけれど、ならば、手話も入れるべきではないかと思ってしまう(実際耳の悪いご老人もおられた)
ともあれ、言語に関しては思うところ多々あり、例えば、友だちは英語のネイティブ・スピーカーだが、イタリア人とのテーブルにセットされてしまい、わたしが通訳をしていたもののイタリア人たちも英語はまったくできなくて、会話は弾まずなんだかな~という雰囲気で5日が過ぎてしまった。そのあたりの振り分けももう少し配慮してくれていたら良かったのにと思う。
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