2023年11月24日

東地中海クルーズの旅 ③


次の寄港地はいよいよイスタンブール。急いで『コンスタンチノープル陥落』を読んできたので、位置関係はだいたい把握していたけれど、現実と想像はかなり違うもので・・・ダーダネルス海峡を通過したのは真夜中、海は凪いでいて気温も温暖、マルマラ海も穏やかな航海だった。

朝になって先方に見えてきたのはボスポラス海峡に跨って東西になだらかに広がる異国情緒のイスタンブール、これはもう感動しかない。接岸デッキは空港のような造りになっていて近代的、お洒落な飲食店やブティック、免税店がズラリ。




イスタンブールのエクスカーションは、二つのモスク(アヤ・ソフィアとブルー・モスク)と考古学博物館、トルコ料理のランチ、バザールというコース。ただ、わたしはイタリア語、友だちは英語のバスに別々に振り分けられ、別行動ということになった。ブルー・モスクは海側からの眺めがブルーに輝いて美しいと言われたのがその名の由来、本当はスルタン・アフメト・モスクという。初めてモスクに入ったわけだが、入場取説、きちんとした服装、女性は必ず髪を隠すこと。スカーフやショールを持参していない場合は入り口で購入できる仕組みになっている。髪だけかと思いきや、コート状の大型なものを纏っている女性も見かけた。ショートパンツとかミニスカートだったりしたのだろうか・・?


モスクの脇に水道の蛇口と石造りの椅子がズラリと並んでいたのだが、そこで、手だけではなく腕や足など、しっかりお清めをしているひとがいた。ガイドさんによると、お清めもいろいろと順番が決まっているそうな・・。





ここは、わりとさっと見て、次は本日の目玉のアヤ・ソフィア。何度も被災して再建されたので、どの時代にどんな宗教の聖地だったのか遡ると非常に興味深い。古代宗教→キリスト教→イスラム教→無宗教→イスラム教、かな。宗教が変わっても内装を変えずにわりとスムーズに利用できたのも、エルサレムとメッカがイスタンブールから見てほぼ同じ方角(僅かなズレ)だったからだといわれ目から鱗。床の絨毯のラインがキリスト教会の建築に対して少しズレているのがわかる。再建用の柱はエフェソスから拝借したり、どこどこのローマ遺跡から持ってきたり、と資材には事欠かないトルコ領。

イタリア語のガイドさん、丁寧に詳しく説明してくれたのだけれど、バスの送迎は朝と夕方の旧市街の入り口まで5分程度の道のりのみで、残りはすべて徒歩、つまり、朝9時半くらいから18時まで、ランチ休憩以外はずっと歩き続け、疲れ果てた。旧市街を歩き倒した感じ。そのおかげでコンスタンチノープルを体感できたのだろうけれど。

ランチといえば、アヤ・ソフィア真ん前のお洒落なテラスで、何種類かの前菜と子羊のソースがかかったマッシュポテト、そしてパンナコッタ風のデザート。美味!






考古学博物館にはアレキサンダー大王の石棺と呼ばれる見事な出土品が展示されていた。トロイの興亡、ごく僅かだったがエフェソスの出土品なども。博物館の敷地内には古代ローマの遺跡の欠片がゴロゴロ放置されていて、置き場に困っているようす、カフェテラスの装飾になっていたという贅沢さ!





ローマ時代の遺跡ヒッポドロモ(競技場)を突っ切ってバザールへ向かう途中、二度目のアダーンが聞こえて来る。初めて聞いたときは鳥肌が立ったけれど、二度目はすでに慣れた。これが一日に5回、どれくらいのひとがお祈りに行くのだろう。




ヒッポドロモからさらに歩いて次の目的地はバザール。かなりの距離だったがトレッキングポールなしでよく頑張ったよ、わたし。バザールに入場する前に注意点などの前説、「値段はあってないも同然なので交渉するように!」だとか、「迷路のようになっているので必ず1番の入口から出入りするように」だとか。

そこでご婦人が質問、「ブランドものがたくさんあるけれど本物をここで生産しているのか?」ガイドさんも答えに困り「あ~、職人さんの腕がいいので・・」と言葉を濁す。なわけないじゃん、と全員が思ったであろう瞬間だった。バザールの場内は換気が悪く、タバコやお香、お茶、スパイスの臭いが充満していた。しかも、雑踏の熱気というか、もわーっとした空気が漂っていてちょっと不安だったのでランチで同席だったイタリア人ご夫婦の後をついて行くことにした。出口を間違えたら船に帰れないという強迫観念に襲われ・・。そうこうしているうちに、英語組で別行動していた友だちにバッタリ鉢合わせ。なんという奇遇!イスタンブールの夜は疲れ果ててビュッフェでさっと夕食を済ませた。出航が23時だったのでハーバーに足を延ばしてみたものの、店舗はいわゆるヨーロッパの町ならどこにでもある店ばかり、富裕層の遊び場という感じだった。


この日、友だちが英語圏のひとたちと情報交換ができたことでクルーズ・ライフの空気感も変わってきた。わたしたちは、夕食のテーブルを彼らのところに移してもらうことにした。わたしは英語はぺらぺらと話せなくても一応理解はできるので、USのひとたちに合流。カリフォルニア(米とメキシコ)、フロリダ(米とコロンビア)、バージニア(韓国)の3組のカップルと同席し、スペイン語と英語が飛び交う国際色豊かなテーブルになった。




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