2024年5月16日

ブダペスト『音楽とお菓子の旅』②

 


ブダペスト二日目は観光スポットに焦点を当てる。

コースは国会議事堂→セーチェ―二鎖橋→ブダ城→マーチャーシュ教会→漁夫の砦を徒歩で踏破の予定。

オクタゴン駅から地下鉄M1線、デアーク・フェレンス駅でM2線に乗り換え国会議事堂へ。広々とした敷地にドナウ川を背に堂々と聳え立つ議事堂は圧巻、ぜひ見学したいのでチケットオフィスへ向かうも夕方5時半まで完売とのこと。ブダ地区から引き返して見学することに。




ドナウ川沿いに鎖橋まで歩く。距離にして1kmほど、舗道には手摺は一切なく、すぐ下を川が流れている。落下することもあるのではないか。しばらく歩くとナチから逃れるために川に身を投げたユダヤ人の靴が並ぶモニュメントがあった。靴の中には小石が・・・これはユダヤの風習らしく花の代わりに小石を置くのだそう。サン・ポール・ド・ヴァンスのシャガールのお墓にも小石がたくさん置いてあったのを思い出す。




5月上旬というのに陽ざしは強く、夏はもうここにも。セ―チェーニ橋を歩いてブダ地区へ渡る。正面にはロープウェイがあるが長蛇の列。バスという手もあるが歩いて登ることにした。ブダ城はとにかく大きい。美術館として再利用しているようだったので、時間的にも内部の見学はあるかどうかわからないけれどまたの機会ということに。

お城の裏手のカフェでひと休みしてからマーチャーシュ聖堂へ。ゴシック様式のこの教会の最も目を惹いたのはカラフルな屋根瓦、あまり見たことのない組み合わせなのでこれもとても新鮮だった。内部もハンガリーの特色なのか独特な装飾が施されいる。

いっときはオスマン・トルコの支配によってモスクに変貌させられたこともあったのだとか。ブダ城も破壊→修復を繰り返してきたので、そう珍しいことではないのだろうけれど。




聖堂に隣接して漁夫の砦という要塞があったが立ち入る隙間もないほど大勢の観光客だったのでまたの機会に。









お昼は行き当たりばったりで。洗練されていそうなこのエリアは外れることはなさそうだった。入ったのはラマズーリという店。

またもグーラッシュをいただく(まるでグーラッシュの食べ比べ)

ここのはメンサとは別モノでスープというよりは肉煮込み。とろけるようなお肉は絶品だった。次男は鶏肉のグリル、ソースが凝っていて手作りのニョッキのような小粒のパスタがよく合う。

前菜はフォアグラのコニャック仕立てと鴨のパテ、生ハムとバター。このバターがなんとも美味しい!






そうこうしていると、昨夜この世とは思えない音色を奏でたテツラフ氏が奥方と出現!マネージャーに説明して写真を撮らせてもらえるか許可をもらい、パシャッ!これも天からの贈り物。



さてこれからがいよいよお菓子の時間。

候補に挙げていたのはいわずもがなのジェルボーとブダ地区からバスで丘を下り鎖橋のもうひとつ先の橋を渡ったところにあるパリジ・パサージュ。この辺りは落ち着いた旧市街とはひと味違う雰囲気、商業地区っぽい活気がある。

ここでは予約しておかなかったので門前払いを喰らう(ニューヨーク・カフェのような差別ではなさそうだったが)… アール・ヌーボー様式の造りにしばし酔いしれる。

ジェルボーはそこから歩いて数分のブダペスト中央広場にある。わたしは迷わずエステルハージ、次男はドボスケーキ。とうとう本家本元でいただけて感無量。お店は想像していたより広くて優雅な雰囲気で古くからあるこの国のお菓子の伝統を感じずにはいられない。

ちなみに、なぜ紅茶ではなくエスプレッソかというと、エスプレッソは日に3杯から5杯いただく習慣があり、旅先ではやはり足りない感があるからつい手が出てしまう。紅茶の方が合うような気もしたけれど19前世紀のブダペストではカフェの方が飲まれていたのではないかとも思ったりする。



ジェルボーを出て国会議事堂方面へは地下鉄で移動。ドナウ河畔で見学までの時間を遣り過ごすことにした。川面の表情が朝とは違ってさざ波に反射する光が美しい。






建築家シュテインドル・イムレによって1885年に着手、1904年に完成された世界で三番目(ヨーロッパ第二)に大きなブダペストの国会議事堂は、左右対称に造られたゴシック・リヴァイヴァル様式(ゴシック様式の復興運動)、見学が許されるのは右半分。左半分は国会議事堂として現役の機能を果たしている。



警備は厳重、オーディオ・ガイドは30か国語準備されていて、タッチパネルで言語を選ぶシステム(これは画期的!)ガイドについて96段の階段を昇り聖イシュトバーンの王冠が保管されている中央ドームへ。圧倒的な階段広間の装飾やステンドグラス、これらすべてを17年で完成させたというのは驚異的で1000人が従事、4000万個のレンガと50万個の宝石と40㎏の金が使われたということ。

ところで、この「96」という数字、カルパチア盆地征服定住896年とその千年祭1896年にちなんだものとされている。

一日中歩き疲れてホテルへ帰投、夕飯は新しい場所を開拓する元気もなく前夜と同じKet Szerecsen(読み方不明)というアカデミー近くのビストロに行く。軽い夕食と思っていたけれど、せっかくハンガリーに来たのだからハンガリー料理を、ということで量少なめに。豚肉の煮込みと山羊のチーズの丸ごとグリルのアップルソースetc、美味しい!

その夜もヨーロッパではあちこちでオーロラが見えたそうな。












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