2024年6月9日

プラハ『音楽とビールの旅』③

 

プラハ3日目、湿布薬と痛み止めが効いてきたのかまずまずの出だし。

ホテル近くの国会議事堂のような国立博物館へと繰り出すことにした。ここは、古都プラハへ入るとき通らなければならなかった門があったところ。







きっとウィーンの博物館のようだろうと想像していたけれど、あのハプスベルク家によって収集された地球上のありとあらゆるすべてのもの、数量ばかりが誇示された展示とは違って、次世代へと引き継がれるべく丁寧に記録・説明された見事な博物館だった。千年を誇る古都への人々の愛がうかがえるというもの。









博物館を満喫した後は再びママ友お勧めの心地よいレストランでランチをいただき、最終ラウンドは22番のトラムで対岸のもうひとつの旧市街を見学することに。ここは、大使館などが立ち並ぶおそらくプラハの一等地、隠れ家的なカフェやビアホールが多く落ち着いた雰囲気だ。












カレル橋に近づくにつれて雑踏にもまれ始める。橋のふもとのテラスでもはや水代わりの2回目の生ビールで喉を潤す。

ここからの眺めはプラハ城と大聖堂をバックにまるで中世画のように美しい。

橋を渡ってモルダウ川沿いを歩き始めるとまたもや夕立に見舞われる。プラハは天気の変化が激しくて、傘、レインコートはリュックの中に必携、晴れれば陽ざしは強く汗ばむので着たり脱いだりの繰り返しだった。

雨宿りしていたスタバを出てホテルに戻り、携帯をチャージしてから地下鉄→バスで空港へと向かう。

スプマンテでさよならの乾杯をして搭乗する。

プラハの旅は、ブダペストのほんの2週間後だけあって、いろんな点で比較することがよくあった。地形的にはどちらも南北に川が流れ、川を挟んで両岸に町が発展している。旧市街はどちらも川の東側にあり、小高い丘の西側に城塞と大聖堂がある。1,000年の歴史を誇る世界遺産の古都プラハに比べるとブダペストは見るものは少ないけれど、それなりに興味深いものもあり食事も美味しい。今後の観光化が楽しみかも知れない。

プラハのママ友とはマルケ州の小さな町で子育て時代を一緒に過ごした。幼い子供を二人抱えてイタリアに移ったばかりのわたしにとって、彼女の存在は大きかったと思う。なぜか、小さな小さな町なのに外国人のママ友は多く(デンマーク、スコットランド、アメリカ、チェコ、フランス・・)日本人のわたしも彼女たちのおかげですーっと受け入れられ、百歩も二百歩も先を行く進んだ考え方の彼女たちに支えられ、励まされ、なんとかやって来られたのではないか。

それなのに、20年ものあいだ一度も連絡できなかったとは・・。メッセージのやり取りで再会できたことは大きな一歩、彼女の故郷プラハを訪れたことも大きな一歩、今度こそゆっくり会って話をして、20年の空白を埋めようと思う。

 

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