2023年11月24日

東地中海クルーズの旅 ②



さて、船はアテネのピレウス港に接岸し、早朝からアクロポリス、アテネ考古学博物館、プラカの旧市街ランチというエクスカーションに出かける。ガイドさんは英語とイタリア語のバイリンガル。説明の時間が倍かかるので単純に考えれば半分の量の情報しかもらえないことになるが、このガイドさん、早口で一生懸命バイリンガルしていた。

アクロポリスは念のためトレッキングポールを2本持参したけれど、階段は緩やかで難なく上れた。ただ、ひと、ひと、ひと、その朝だけで85団体が入場するらしかった。夏のハイシーズンだったらどうなるのだろう。上りは順調だったが問題は混雑がピークとなってきた下り、あの狭い階段、手摺もなくつるつるした石のステップをあれだけの人数がいれば、だれかが転んだら雪崩式に滑り落ちてしまう。時間の問題のような気がした。危機管理が緩いアクロポリス・・。


考古学上調査はこの先まだ続きそうだが(永遠に終わらない?)、これだけのひとが押し寄せては足を引っ張られるのではと思ってしまう。ともあれ、実際にそこに行って五感で感じることができたので大満足。

折しもこのパルテノン神殿のスーパーヴァイザーだったフィディアというアテネ黄金時代の彫刻家の展示会が今日(2023年11月24日)からカピトリーノ美術館で始まる。なんというタイミング!じっくりゆっくり見学できるので嬉しい。

ちなみにイタリアでは月の第一日曜日はすべての美術館・博物館・遺跡が無料となる。ギリシャも同様らしい。

考古学博物館へ向かい早口で説明をしてもらう。一夜づけではとても無理な展示数、また勉強して出直すべしと心に誓う。

その日、旧市街のプラカではデモがあり、バスで乗り入れ不可とのこと。現在のアテネの実態が見られないのは残念だったが仕方ない。


アテネよさらば、次の寄港地はイズミール、念願のエフェソスが待っている。

さて、イズミール、トルコの大きな港町だが、今回はそこからエフェソスまでトランスファーのみ予約した。片道1時間半くらいかかるので現地ではあまり時間がない。到着、急ぎ足で入場券を購入しに行く。が、チケット・ボックスの女性は英語が話せず、何種類もある入場券の英語の説明もない。ドルもユーロも受けつけていないし、どうしよう・・。博物館込みで950トルコ・リラ(為替はまったくわからなかった)が妥当とみて購入する。ここで、わたしは大失敗をおかすのだ・・。






古代アルテミス神殿、古代ローマ、後にはパオロがここでキリスト教を布教し、聖母マリアの家もあるという、ここだけで西洋史が語れてしまうくらいのスケールの遺跡。しかも、ポンペイよりも保存状態は良いかも知れなく(資金がないのかもっとケアして欲しいと切に願う)、本来ならば半日くらいとどまって物思いに耽りたい気分・・・が、1時間半しかない。目的は博物館、足早に歩いて行くととうとう出口まで来てしまい、係員に尋ねると、「博物館はここにはありません。この遺跡すべてが考古学博物館なんです」とちょっとわけのわからないことを仰る。で、結局入場料に含まれていたのは遺跡内の展示のことで、慌てていたあまりにそこを端折ってしまった自分が悔しい・・後の祭り。考古学博物館は後で調べたらセルチュク市内にあるようで、そこに立ち寄る時間はなかったということ。でも、ターキッシュ・デライツのお店に連れて行く時間はちゃんとあって、30分もショッピングに割いたのだ。興味津々で下りて店に入ってゴマのようなきな粉のような香ばしいお菓子を試食、美味しい!というわけで、ハルヴァとロクム(大好物の求肥に似ている)をどっさりお買い上げ。




この町にはまた戻って来たいとつくづく思う。





東地中海クルーズの旅 ①



今回クルーズのお誘いを受けたのは昨年の暮れのことだった。2019年還暦祝いにと北欧~バルト海クルーズを計画した大学の同級生から再びお声がかかったのだ。当初9割がた無理だと思っていた。うちには90歳の母がいるし、わたしは股関節が悪くてさくさくと歩ける状態ではなかったからだ。

ところが、うちの家族は話がわかる。10日くらいなら母の面倒もなんとかなるだろうし、足腰の痛みもしっかり鍛えて治せば大丈夫だろうという。それからというもの、クルーズ計画に没頭する日々を送ることになった。

気になっていたコースはチヴィタヴェッキア、メッシーナ、ロードス島、キプロス島、エルサレム、クレタ島、ジェノヴァという東地中海航路。これがちょうど日程とマッチした。旅行会社に頼むまでもなく自らオンラインでブッキング。前回の北欧クルーズ同様、今回もクルーズ仲間3人で行くことに。

せっかくの数年に一度のクルーズなので各自下調べをしっかりしておこうということになり、積読状態だった塩野七生先生の『ローマ人の物語』を読みなおしながら、キリスト教関連、十字軍関連、とにかくこの巡礼クルーズに関するものならなんでも。とはいえ、地中海関連は奥が深くて数千年遡らなければならない。時間が足りない・・。

6月から出発10日前までの5か月ほどは山暮らしでのんびりと休養しながら山登りや温泉プールで鍛え、股関節に最適の運動靴とトレッキング・ポールもゲット。けれども、今回のクルーズの旅はあたかもだれかに引き止められているかのような出来事の連続だった。

この年齢になればなにもない方がおかしいわけで、一人は残念ながら家庭の事情でキャンセルとなってしまったが残りの二人はなんとか行けそうな雰囲気、最終決済とウェブ・チェックインが完了したと思いきや、エルサレムがあんなことに・・・。

土壇場のクルーズ会社は三つの選択肢を提案してきた。①無料で今回のクルーズをキャンセルする。②別のクルーズに変更する。③このまま続行する。

わたしたちは、迷わず続行を選んだ。ただし、航路は変更となり、ロードス島、キプロス島、エルサレムの代わりに、アテネ、イズミール、イスタンブールとなった。

読んでいた『ローマ人の物語』も最終巻に差しかかっていた。西ローマ帝国が滅びつつあるなか権力はコンスタンチノープルへ移り、いきなりの航路変更で、まさにその東ローマ帝国の都へ行こうとしているのだ。そして、イズミールからはあのエフェソスにも行ける。そう思うと、わたしにとっては嬉しい航路変更だった。

チヴィタヴェッキアから乗船した船は、今回のクルーズの後、お蔵入りするらしいと耳にした。それほど古臭いという印象でもなく、施設は整っているし管理もされている。リノヴェーションなのか。この会社、ここ数年のうちにぴっかぴかの新エネルギー船舶を数隻世に送り出している。いまや、クルーズは航路ではなくて船で選ぶ時代、動くテーマパーク。いや、動いていることすら感じないのかも。

最初の寄港地メッシーナまでは暴風でゆれっゆれ、タオルミーナのエクスカーションは悪天候でキャンセルとなり、徒歩で町を散策することにした。コロニアル風の建物はスペイン統治の影響なのか、南米のどこかの町にいるような感じがした。


わたしたちは、ただただ本場のシチリア菓子カノッリを求めて歩いた。サクサクの筒の中にフレッシュリコッタクリーム、これまで味わったことのない最高の食感、味だった。それから丘の上の教会まで足を延ばし、メッシーナ海峡を一望する。絶景だった。




メッシーナもあれですが、なんといっても印象的だったのはストロンボリ。イングリット・バークマンの映画『ストロンボリ』を思い出す・・。






ここでこの船の第一印象を述べると、クルーが無駄に愛想を振りまくような光景は1ミリもなくひたすら事務的対応(前回のアメリカの船はめちゃくちゃ愛想が良かった)、これも、コロナ禍後で意識の変化があったのかと思ってしまう。愛想よりも安心・安全な航海に真剣に取り組む、というような姿勢。

そして、イタリアの船なのに、あれ?と思うほどイタリア語ができるクルーが少ないのに驚いた。実は、この船は5か国語対応を売りものにしているらしく、避難訓練などは多言語は確かにありがたいけれど、ならば、手話も入れるべきではないかと思ってしまう(実際耳の悪いご老人もおられた)

ともあれ、言語に関しては思うところ多々あり、例えば、友だちは英語のネイティブ・スピーカーだが、イタリア人とのテーブルにセットされてしまい、わたしが通訳をしていたもののイタリア人たちも英語はまったくできなくて、会話は弾まずなんだかな~という雰囲気で5日が過ぎてしまった。そのあたりの振り分けももう少し配慮してくれていたら良かったのにと思う。




2023年8月19日

母、90歳のイタリア生活⑦  Mamma, 90 anni, si gode la vita all'italiana ⑦




アブルッツオ国立公園バレア湖


今年の上半期はローマ、母もおかげさまで元気に90歳の誕生日を迎えることができ、粛々と内輪でお祝いをした。この春はローマは雨が多くて、しかも冬から夏へ春を通り越してひとっ飛び、わたしはただただ近場のローマ遺跡めぐりを楽しんでいた。

今年は6月そうそうに山へ老組3人で移動となった。暑い日もあったけれど山はさすがにまだ肌寒く、長雨が続いて、温泉プールの湯治も先送りとなる。

「古代ローマ」フリークのわたしはローマ歴史地区を散策する楽しみがあったのでそんなに早く山へ移動しなくても…と思ってはいたのだが。

この山では自然にどっぷり漬かってBIO食品をいただき、自然治癒力を高めるべくテルメやトレッキングを心がけ、読書や絵や編物でセラピーをする。でも、今年はポンペイを推してみた。「ポンペイ?暑いよ~」とこれまでずっと避けらてきたけれど、行けるときに行っとかなきゃ。

というわけで、友だちを誘って、熱波が来る前の6月末にポンペイ行きが決まった。もちろん母も車椅子で連れていく。わたしは、見るもの触るものすべてに感動しまくり、夫と母はフォロの日陰で待機ということに。石畳はやはり車椅子では限界があり、2時間以上も待ってもらって、わたしたちはポンペイを駆け廻った。3時間近くの炎天下で激しく消耗、予約しておいた古代ローマ調レストランにたどりついたときには崩れ落ちた。美味しいワインと食事で生き返る。予定では寄るはずだったカンピ・フレグレイはまたの機会ということで帰路についた。

思えば、南イタリアは古代ローマ、それ以前の遺跡の宝庫、暑いからといってボーっと過ごすのはあまりにももったいない。そんななか、近くにあるテアーノという町の考古学ツアーのお誘いがあり散策することに。こちらは夕方から3回の食事ブレイクつきで5時間の町歩きだった。古代ローマ以前の原住民の優れた文化を垣間見ることができて大満足。ただ、旧市街はゴーストタウンのようで、廃墟と化した教会も多くて残念。

ポンペイに行ったもののなにか物足りない気持ちで過ごしていたわたくし、頭のなかはナポリ考古学博物館が過りっぱなし。そこで、友だちと3人で博物館→行きそびれたカンピ・フレグレイを計画。母は夫が見ていてくれるというので心置きなく(笑)出かけたのだった。到着するなり、ここに移住したい、いっそ住民票移したい、くらいにドはまり、写真を撮りまくって携帯のバッテリーも切れてしまった。4時間かけて(それでも駆け足だったが)見尽くし、次はカンピ・フレグレイに移動、そこで昼ご飯と思いきや、時間が遅すぎたのかもうどこも開いていない。バイアまで足を延ばし、ヴェスヴィオ火山、ソレント半島を遠目に「カエサルもこの海を眺めていたのか…」とか言いながら想いに耽ってみた。

南イタリアの古代遺跡巡りでは、この山から比較的近いカプアやミントゥルノも標的内だが、来週はスペルロンガのティベリウスのヴィラ/博物館とローマ時代の巨大貯水庫を見学に行く予定。ZiAnnaのオマール海老のパスタも楽しみ!

8月、夏本番となり、温泉プール通いも規則的に週2のペースとなり、母も勝手知ったるテルメという感じ(今年で4年目)でスイスイと泳いでいる。そういえば、この5月に家族そろってコロナに感染し、その後遺症かも知れないし、コロナ禍の環境変化による免疫低下かも知れないが、山へ移動するとファウナ(生態系)の違いもあるのか、アレルギー反応が強く出始め、もしや栗アレルギーだったら恐ろしい(ここは栗林の山)と思ってテストをしてみた。栗は大丈夫だったけれど、思ってもみなかったメロンにアレルギー反応が出てショック。生ハムとメロンさえあればなにもいらない、とまで豪語したわたくし、果たして硫黄の温泉が功を奏すかどうか… フェラゴストの里帰りで山も賑やかになり、連夜大爆音コンサート(最近は苦情が殺到してきっちり時間厳守で爆音騒ぎ)や花火、ツラれて犬も吠えるしで、煩い日々が続いているけれど、それも8月後半にもなれば落ち着くはず。お達者クラブ仲間のトレッキング、村の恒例の山歩きやBBQには母も参加、村の衆との交流もまずまずといったところ。とにかく90歳のニッポン女子というのが女性の鏡のように思えてならないらしい。

ひと雨来ればポルチーニ茸、そして、9月末になれば栗も落ち始める。山村ポポロが全開で活動を開始する。10月には「メガ栗フェス」も開催される(去年は一日3万人が来場して中止になるほどだった)、まだまだ続く珍道中。


2022年12月3日

バルセロナ、初めてのスペイン





毎年夏休み明けに次男と行く小旅行、2020年と21年はコロナで考えもしなかったけれど、今年はウィズ・コロナ、観光も賑わっているようす。マスクの義務もなくなりグリーンパスも不要とあらば出かけても良いんじゃないかという気にもなる。問題は高齢の母。すると「3日くらいならみていてやる」と夫が言ってくれた。なんとできた夫でしょう!日本語もかたことならできるし、食事もなんとかなりそう(多少準備はしておくけれど)、ということでいざ!

最初はパリを計画していた。パリを知らない次男にルーブルをみせてやりたいという思いがあった。でも、3日ではいかにも短かすぎる。そこで思いついたのがバルセロナだ。実はスペインはまだ行ったことがない。

空港はコロナ前と同じような賑わいでチェックインも荷物検査もスムーズ。観光は確実に回復していた。唯一マスク着用を求められたのはバルセロナの空港から出るバスのみ。

ホテルは中心部のカタルニア広場に面していて、交通の便や旧・新市街へのアクセスは抜群だった。到着早々旧市街のランブラス通りにあるボケリア市場へ繰り出し、パエリア・バルで本場のパエリアとイベリコ・ハムをいただく。


具材はこの上なく新鮮。お昼どきの市場はバルでお酒を片手にタパスを楽しむひとたちでいっぱいだった。

その後、王の広場(プラサ・デル・レイ)からゴシック地区のカテドラル、カタルニア音楽堂など、旧市街の雰囲気を味わう。


















2日目は、カタルニア広場に面した老舗のカフェで朝食。クロワッサンもデニッシュも、ドーナッツも、申し分ないお味。朝食の後は、お待ちかねのサクラダ・ファミリア。この日は道路規制があってタクシーは使えず、地下鉄で。地下鉄を出ると目の前に聳え立つ世界遺産に思わず歓喜の声を上げる。



オンラインで入場券を予約し小一時間待機する。世界遺産に指定されている『生誕のファサード』と裏側の『受難のファサード』のあまりの作風の違いに違和感を感じつつも、壮大なガウディのプロジェクトにはただただ敬服。完成が待ち遠しい。




サグラダ・ファミリアからカサ・ミラまでは歩いてみることにした。カサ・ミラのあるガルシア通りはバルセロナきっての優雅な通りで、パリでいうならシャンゼリゼ、東京なら銀座といったところ。高級ブテイックが入っている建築物も芸術的だ。






お昼は老舗のセルヴェセリア・カタラーナというタパスのお店で。予約受付しないお店なのでときには行列ができることもあるのだとか。数種類のタパスと白ワインで堪能、その後、グラシア通りをぶらぶらしてカタルニア広場へ。





夜はプラサ・デル・レイに面したこれもまた老舗のラス・キンセ・ニッツでパエリアのパスタ版(フィデウア)をいただく。かつてブエノスアイレス時代に、カタルニアの友だちがご馳走してくれたことがあったのだが、なんとも美味しくて忘れられない味、もしかしたら彼女の作ったフィデウアの方が上だったかも。






3日目は生憎の冷雨、グエル公園はあきらめてサン・アントニという市場を見学することに。ところが、日曜日は漁をしないので月曜日は魚屋は閉まっていて、これはイタリアでも同じなのでうっかりしていた。活気もなく静かな市場・・・驚くべきは、その清潔さと整然と並べられた食品。日本のデパ地下のゴンドラを上回っている。



早々にカタルニア広場に戻り、出発までエル・コルテス・イングレスというデパートで時間をつぶすことにした。最上階のカフェテリアはガラス張りでバルセロナの街を一望にできる。ここでもパエリア(そんなに好きなの?)とスパニッシュ・オムレツ、イベリコ・ハムのコロッケをいただく。

よく歩き、よく食べ、よく観察した凝縮の3日間。今度はサグラダ・ファミリアが完成してからかな。

2022年11月3日

アランが好きなわけ ③

 

この夏は機織りと編みものにたくさんの時間を費やした。「肩凝り、運動不足→温泉プール」の繰り返し、プラマイゼロ、それでも糸から離れられない・・。

編んだセーターは計6枚、すべてアラン。そのうちのひとつは、日本から持ってきた和棉の種から育てたコットンで編んだもの。

友だちの自家菜園で2年に渡って和棉を栽培してもらい、毎年、籠にいっぱいの綿が穫れた。

東京とローマを頻繁に行き来していたわたしは、まとまった時間がなくて綿繰り(種を取り除く作業)は遅延、スピンドル(独楽)で紡いで糸にするにも時間がかかり、すべてを糸にし終わるのに3年以上はかかったと思う。

日本製の綿繰り機







2019年は東京勤務を終えてローマへ帰るための引越しと同時に母のイタリア移住が重なり、堆積する諸々の手続きがひと段落したと思ったらコロナでロックダウン。これらの事情を静かに傍観しつつ紡がれるのをただ黙って待ち続けたコットンに「とき」が降臨する。

本当は布を織りたかったのだが、糸の強度がいまひとつ、織っているあいだに切れる恐れがあったため編むことにした。

種から育てた和棉の糸で編んだアランのカーディガン、自己満足の極みです。


母、89歳のイタリア生活⑥  Mamma, 89 anni, si gode la vita all'italiana

 



今年の山暮らしは6月前半から11月初旬まで、これまでにない長丁場となった。6月に入るとたちまちのうちにローマは熱波に襲われ、逃げるように山へ移動、待ち遠しかった温泉プールの湯治が日課となり、友だちや親類のあいだでも湯治はプチブーム、週3のペースが続いた。

心臓の持病のある母は医者に無理だと言われつつも、まったく問題なく炎天下でも泳いだし、わたしはなにもしていないのにコレステロール値が奇跡的に下がり、やはりこの山はワンダーランドなのではないかと思い始めている。食材なのか(確かにここの肉類や野菜はすべて美味しい)空気のせいか、自然のなかの生活はやはり違うのかも。

8月の後半は毎日のように夕立が降って、栗にとってもキノコにとっても待望の雨、村のご近所さんから続々とポルチーニやタマゴタケが届き、もう結構ですとお断りするほどだった。今年は栗も豊作で枝がしなって地面に届きそうな、これまでに見たことのない風景だった。ところが、豊作だと栗の価格は下がり、人手も足らず、いくら収穫しても元手が取れないという悪循環。収穫を諦めて放置する栗農家も少なからずあった。

今年はコロナで2年お休みだった栗フェスが再開された。10月から11月にかけて7週間、週末に限って開催される。総出店数90スタンド、町の広場に集中的に並べられる。3年前は、世界でいちばん大きな焼栗鍋がギネスに登録され、日本のテレビでも紹介された。クチコミで評判が広まり、ここの栗フェスは高速道路の出口から渋滞になるほどの人気となってしまった。4週末連続、比較的空いている午前中に母を連れて出かけた。いろんな栗菓子、ナポリの有名なピッツァ(移動式窯持参で参加)、アブルッツォやモリーセの特産品、蜂蜜、BBQ、ポルチーニ料理、パスタ、ソーセージ、ポルケッタ、秋の味覚満載。幸いお天気に恵まれ、来場者は週を追うごとに増える一方。

当初見込まれていた来場者数は2千人、それが3万人/日を記録し、4週目にはセキュリティ上問題があるのではと疑問視され、市長の決断で中断することになった。来場者が多いのはありがたいことだけれど警備体制が万全でなければ全責任は市長にかぶさってくる。反対もあった。どこかから絶対に中断させるなという圧力がかかったのだろう、なんとかして警備を増員してこの場をやり過ごそうとする向きもあった。なにかあったらコネや力でねじ伏せて・・、いやいや、いまどきはそういうのはもう無理なんです。

メガ栗フェスで大儲けしたひとたちは、もっともっとと期待が膨らんでいたはず、中断を口惜しく思われるでしょうが、コロナ禍でイタリアは多大な犠牲を出し、なにが大切か十分に学んだはず。「大丈夫、まさかそんなこと・・、なんとかなるさ」はもう通用しない。これまでの経験値では予測不能なことが起こる、実際に起こっている。韓国でのあの痛ましい事故がそれを証明している。

こんなに暖かい10月は初めてかも知れない。澄んだ空気のなか、湯気の立つ温泉プールは極楽の気分だった。来週からは寒くなるという予報、温暖なローマで冬を越して(まるで渡り鳥!)来年もまたこのワンダーランドを満喫できますように!


2022年8月17日

母、89歳のイタリア生活⑤  Mamma, 89 anni, si gode la vita all'italiana




夏の山暮らしもすでに2ヶ月が経過、環境が変わるたびに戸惑う母だが、週3回の温泉プール通いのルーティーンにもようやく慣れた。今年は6月初旬からすでに熱波に見舞われ始め、ローマを早々に離れたのだけれど、標高700mのここでも昼間はうだるような暑さ、ここで朝から扇風機をつけたのは今年が初めてだ。

心臓疾患のため温泉プールをとめられていたが、そんなの関係ない!と泳ぎまくる母。利用客のなかではおそらく最高年齢、プールサイドのバールでも顔パス、朝食のカップチーノとコルネットがおのずと出て来る。

栗林の山では豊作が期待できそう。どこもかしこも栗、栗、栗。ただ、今年はイノシシの被害が増加していて、夜になると大群で出没するため村中の犬が大合唱となる。穏やかな山の暮らしはどこへ行ったのか。窓を開ければ山焼きの煙(これは栗拾いの支度なので致し方ないとしても)、早朝の山仕事のトラクターの爆音、フェラゴスト(8月15日の聖母マリア昇天の祝日)周辺の連日連夜のお祭り騒ぎ・・・。騒々しい8月が過ぎると栗拾いが始まり、当分のあいだザワザワするのだろう。そして、10月からは栗フェスが開催される。コロナで2年停滞していたので今年は大々的に行われるに違いない。

ここの暮らしの難点といえば、村人のバリアの高さ、夏のあいだだけしか来ない(といっても4ケ月もいるのに!)部外者とは深くおつきあいしないという部分は徹底している。ところが彼らは好奇心の塊、少しだけ知りたい、少しだけ触れ合いたいというオーラで包まれている。小さな情報がひとり歩きして、尾ひれがついて、まったく別の物語が出来上がってしまっていたりする。もうひとつ気がついたことは、究極の村人に限らず一般的にここらのひとは開口一番「(息子に)彼女はいるの?」と、親でも気を遣うデリケートな領域にズカズカ踏み込んでくるということ。そこで、なぜなのかちょっと考えてみた。彼らにとって結婚はひとではなく家どうしのつながり、親類縁者の系図のなかで生きているといっても過言ではないので気になって仕方がないのだ。国際結婚がないわけではないし、移民としてアメリカに渡ったひとも多いのでオープンマインドなはずなのに・・・。夫はただただ破天荒なアヴァンギャルド、幻の日本人女性との結婚でなにかが変わったのだろうか・・ここはわたし(母も)にとっては異次元の迷宮、それはそれでまたワンダーランドっぽくて面白いんだけど。

ワンダーランドといえば、去年の夏、次男と海から山へ車で帰る途中、道を間違えて知らない村に入り込んでしまった。広場にたむろするひとたちは、中・高齢者なのだろうけれど子どものように目が輝いて、いきいきしていて、服装も子どものようにカラフルで・・「あ、ここは時間が止まっている」と思わずにはいられない。閉ざされた世界というのはこういうことなのね。そこを通り抜けて少し行けば大きな病院、いたって普通の世界があるのに(笑)

母はというと、最近はYouTubeで生まれ故郷の動画を観るのがもっぱらのブーム、テレビに父方の在所が映し出されるのが嬉しくて仕方がないみたい。ユネスコの無形文化遺産や指定文化遺産の観光名所で少なからず動画が存在している。毎日同じ動画でもあたかも初めてのように喜んで観ている母、一服の精神安定剤の役割を果たしてくれて本当にありがたい。わたしも母の歳になったら幼少時代によく遊んだ公園の動画で癒されるのだろうか・・・。

ここのところ眼が疲れるのか編物をしなくなった母に機織りを教えてみた。準備した縦糸に横糸のシャトルを左右に動かして通すだけ。でも、新しいことに挑戦するのはなかなかしんどそうで、長続きしなかった。やっとのことでマフラー1枚だけ織りあがった。




わたしは、この夏の、いや人生の一大イヴェントともいえるラヴェッロの音楽祭をのぞいては(9月3日にもう一度行きます!)、相変わらずアランのセーターを編んでいて、そのあいまの気晴らしに細いコットンで大判ショールも織ってみた。



変わったことといえば、昨年モザイク・アーチストさんに依頼していた装飾が完成した。デザインは庭に植えてあるクサギと小鳥の水飲み場をそのまま絵にしたもので大理石だけで作っていただいた。飾る壁はここの休火山の岩石を用いているのだけれど、まるで壁から自然に生まれ出たような作品。さすが、アーチスト、奥深いものがあって感動・・記念碑にしようと思っています。