2018年5月22日

屋久島 ③ Isola di Yakushima






三日目はヤクスギランド散策です。〇〇ランドというネーミングのせいか、レジャーランドのようなつもりでいましたが、なんのその本格的な登山コースもある標高1000~1300mのヤクスギ鑑賞のための自然休養林。わたしたちは、80分ほどかけて沢畔を歩く2kmコースを選びました。白谷雲水峡に比べると来場者は少なく、ゆったりした気分で山歩きを堪能できました。


酸素とマイナス・イオンのシャワーをたくさん浴びると空腹感も疲れもさほど感じなくなる、というのはわたしだけでしょうか?

でも、下界に下りるとたちまちお腹が空きはじめました(笑)次の宿へ向かう途中で洋風ランチ。やはり、こういうのも良いね。






ランチの後は一路、島の北西の永田浜にある送陽邸へ。レイン・フォレストのような島の東側とは打って変わって、ここは沖縄のビーチを思わせます。ここでの最大の目的は海亀の産卵ウォッチング。ウミガメ保全協議会の方々の誘導で決められた時間に観察はできますが、5月1日から8月31日の夜7時半から翌朝5時まで、産卵時の浜への立入りを避けるように呼びかけています。



海亀が穴を掘ってお産の準備が整ったら浜へ繰り出します。お尻のあたりが赤外線ランプで照らされます。海亀の息遣いが伝わるほど近い場所で産卵の一部始終を見とどけることが出来ました。絶滅危惧種に指定される海亀、この産卵を10年繰り返しても生き残るのはたった一匹なのだそう。



クジラの回遊のように遠い海をゆく生物の一生はスケールが大きくて感動的ですが、満天の星を見上げるとその物語りも宇宙のちっぽけなほんの一瞬の出来事。ここにこうして立っていられることこそが奇跡なのだと思わずにはいられませんでした。





屋久島 ② Isola di Yakushima






この旅のメインは白谷雲水峡のトレッキング。仲間のつてで依頼したガイドさん(これがまた凄いひと、忍者かはたまた天狗か、石から石へと飛ぶように歩かれる!)の勧めで早朝6時半から出発ということになりました。

実は、この旅の数日前までわたしはローマに滞在しており、そのあいだに高熱、二度のぎっくり腰に見舞われ、時差もあるしで、かなり体力的にヨレヨレ、もう、いつ寝るのかご飯を食べるのかわからないままの出発だったのです。

白谷雲水峡は「もののけ姫」の舞台として知られていますが、本当に鹿もいたりして、それはそれは幽玄の世界。なんとしてもそこに辿り着くまでは頑張ろうと、比較的楽とされるコースを行くわけですが、やはりにわか仕込みのトレッカーにとってはしんどい道のり。ガイドさんのレクチャー「山登りの奥義」―上りは貧血者(またはやる気のない中学生)のように前のめり気味に、下りは流水のように腰の位置を定めて、などなど―のおかげでだいぶ楽になりましたが。


苔むした岩の上を歩くのは危なっかしくもあり(案の定、沢で二名が転倒)、レンタル・ショップでストックを借りて正解でした。最初はウキウキお喋りしながら歩いていましたが、奥に進むにつれみんな口数が少なくなり、専らガイドさんの話に耳を傾けながらのトレッキング。

ここは、さすがに人気のスポットだけあって登って来るひとが後を絶ちません。早朝の出発で上りは貸切状態だったのが下山は混雑しました。太鼓岩まで登るかどうか(往復2時間の急斜)意見が分かれましたが、ガイドさんの判断で苔むす森をゆっくり散策して下りることに。

ここは、岩塊に樹木が張りついては絡まり、それが何層にも重なってできた大きな苔玉のようなイメージでした。まさに光と水の世界です。













2018年5月21日

屋久島 ① Isola di Yakushima





いつのまにかトレッキング愛好家に変身し、4月には初登山で高尾山へ。そして、そのすぐ後に屋久島。いろんな不安が交錯するなか、屋久杉を目指す縦走登山に比べれば楽なコースだからと「もののけ姫」の舞台となった白谷雲水峡を歩くことになりました。



雨の降らない日はないと言われる多雨の屋久島ですが、連日好天に恵まれ、それだけでも初心者のトレッカーにはありがたいことでした。

移動はレンタカーで。先ずは島の神さまにご挨拶ということで屋久島大社と益救神社を参詣、ご朱印をいただきました。屋久島大社は新しく立派な構え、うってかわって益救神社はこじんまりした佇まい。実は、島最大の集落である宮之浦にある益救神社の方が山岳信仰の総本山、屋久島で最も由緒ある神社なのだそう。

屋久島大社は製薬会社、恵命堂(恵命我神散という胃薬で知られる)の社長さんが創設したものだそう。この胃薬に屋久島産のガジュツという原料が使われているそうで、なんと、ピロリ菌にも効くかも知れないとのこと。








民宿にチェックインするまでのあいだの時間を有効活用すべく、次に向かった目的地は「杉の舎」という屋久杉の工房。仙人のような風貌の匠のお話を聞きながら一時間半かけて屋久杉でお箸を作りました。このお箸を使う手に悠久のときが流れる・・・。




宿は宮之浦の川沿いにある八重岳山荘。川のせせらぎや虫や鳥の声が聞こえる静かなところ、夜には蛍も観ることができます。親切なスタッフの笑顔にほっとします。
















2018年5月8日

看護生活のあいま






9月中旬から夫の看護が続いていましたが、クリスマス休暇には息子たちが来てくれて家の中も明るくなりました。ごくあたりまえの日常生活をともに過ごせる幸せ。

看護生活のあいまの気分転換も忘れていません。特に週に一度の医療体操はわたしの心身の支えでした。ちょこちょことイベントにも出かけました。

武道館で開かれた自衛隊の音楽祭、初詣に行った大宮八幡宮のどんど焼き、升席で観戦した大相撲初場所、文楽、幕張の国際食品展示会Foodex、ecc. そして、桜の時節にはお花見ポットラック・パーティも開きました。




そんなとき友だちから誘われたのがトレッキング。「健康のために良さそう」とさっそくこれまでご縁のなかった登山専門店を渡り歩き、いろいろと研究し、いつでも出かけられる態勢を整えました。






そして、春麗らかなある日、みんなで高尾山へ。




花粉の宝庫である高尾に踏み入るのは恐ろしくもあったけれど、時期的にはすでに飛散した後とのこと、その点は問題なく通過。ただ、高尾くらいなら楽勝だろうという考えは間違いだったようで、今回選んだ長めのコースは初心者にはきついものがありました。


登頂の達成感と心地よい疲労感、そして、ピクニックを広げていただくお弁当の美味しかったこと!帰路は、薬王院で御朱印帳に記帳していただいた後、リフトで下りることに。



次のトレッキングに向けてもっとトレーニングしなければ!



2018年5月2日

災難はある日突然やってくる





夏休みが終わって東京に戻るや否や「腰が痛いので病院に行きたい」と夫。まさかのぎっくり腰か?!

原因はジムでの無理な動き。インストラクターにひと言声をかけていればこんなことにはならなかったのに・・・すべては後の祭りです。「筋肉の損傷なので痛みどめと湿布で二週間もすれば治るでしょう」とお医者に言われたものの、激痛で夜も眠れず、不安は募るばかりでした。

ベッドに横になることもままならずリクライニング椅子を購入、自宅で安静にしながら仕事は家でしていましたが、そのストレスもあったのか、症状は悪化するばかり。そうこうしているうちにとうとう坐骨神経痛が出てしまって立つことすらできなくなってしまいました。MRI検査では腰椎管狭窄症と診断され、それも要因のひとつとされました。

神経ブロック注射、神経を麻痺させる薬、ありとあらゆる手を尽くしました。こういうのは時間がかかる、3か月から半年、あるいは1年、焦らず気長に向き合おうと腹をくくり、一日に一歩でも歩けるようになれば良しとしました。

9月中旬から家の中を歩けるようになるまで3か月かかりました。その間ずっと動かずに薬づけだったせいもあって、すべてのバランスが崩れ、免疫力も低下しました。

なにか良いリハビリはないものか、藁をもつかむ思いでネット検索していたら「歩けなかったひとが嘘のように歩けるようになった」という記事が!即、夫を連れて行きました。それ以来、そのカイロプラクティックには通い続けています。「この痛みは狭窄症のせいではない」ときっぱり仰るドクターの東洋医学的な、画像には映らない不調というものへのアプローチがとても興味深い。

こうして、身動きできないひとが家にいるという状況を、わたしは生まれて初めて体験したのですが、そのおかげで自分の運動量が二倍になり、太る暇もなかった・・不幸中の幸いです。