2016年9月27日

日伊国交150年の記念イベントが続々と 150 anni di relazioni tra Giappone e Italia 







今年は日伊国交150年ということであちこちでイタリア関連のイベントが開かれています。先日、そのひとつに参加しました。

ミラノ市長の表敬訪問ではミラノの有名シェフも一緒に来日、そのお料理が振舞われました。

左端のクラッコ氏、ミラノのドゥオーモ近くにリストランテ・クラッコを展開する、テレビでもお馴染みのイケメン・カリスマ・シェフなのだそう。

そして、黒縁メガネの方が2016年のベスト・レストラン50のトップに輝いたモデナのオステリア・フランチェスカーナのシェフ、マッシモ・ボットゥ―ラ氏。 今回は銀座ブルガリのシェフ、ルカ・ファンティーニ氏(右端)とのパフォーマンスのための来日なのだとか。

ミラノ市のPRということで、お料理はミラノ料理。前菜、リゾット、コトレッタ、カスエラ(豚肉の煮込料理)などなど、厨房から次々と出来たてが運ばれて来ました。








その日、クラッコ氏は、中部イタリア大地震で大きな被害を受けたアマトリーチェを偲んでアマトリチャーナを披露されました。

モデナのボットゥーリ氏のお料理は、やはりモデナで味わいたい。素材とか、その場所の空気に合うワインとか、やはり拘って作られているに違いないと思うし。

予約、何ヶ月、いや何年先になるんでしょうね。でも、待てば待つほど期待も膨らむというものです。









2016年9月19日

マンクス・ロフタンを編む  Manx Loaghtan













今年はマンクス・ロフタンという羊の毛を紡ぎました。マン島に生息しているのですが、珍味としてたいそう重宝されているのだとか。




原毛は細くて柔らかく、紡ぎやすい。


シンプルで素朴な風合いの糸なので、アラン模様のベストにしました。セーターにするには糸の量が足らないけれど、ベストには多すぎる、というわけで、たっぷりめのヘチマ襟をつけることにしました。

さて、うまくヘチマの形に編めるかどうか、初めての挑戦です。


かなり時間がかかりましたが、なんとか編み終えることができました。達成感ありです(笑)











編み上がってからのボタン選びも楽しみのひとつです。イタリアで調達しようと思っていましたが、夏休みはどこもお休み。というわけで、渋谷のドログリに行ってみました。フランスのお店ですが、手芸のおもしろいパーツが揃っています。



マンクス・ロフタンの雄々しい角を思い起こさせるようなボタンがありました!といっても、水牛の角ですが。


獣感ありありのワイルドなベストの出来上がりです。

























2016年9月18日

ブルゲンラントの食器は語る  Sentiamo ciò che ci raccontano i piatti di Burgenland








このヴィレロイ・ボッホの食器に出会ったのは、ウィーンに行く三日ほど前でした。なぜこれが目に留まったかというと、同じ絵柄のお皿が夫の生家にあったからです。亡き義母が大切にしていたものなのでしょう。


裏にはブルゲンラントと記してあります。いつ製造されたものかはわかりませんが、おそらく前世紀の中ごろではないかと。

図柄はそれぞれ違っていて、緑豊な湖畔の情景が美しい。 

わたしは、これを衝動買いしてしまうわけですが、それにはもうひとつ理由がありました。

以前ハワイでヴィレロイ・ボッホの食器をひと揃え購入し、空輸で送って無事に届いたものの、一度も使わないうちに阪神大震災でみごとに全壊してしまったのです。そして、つい最近、そのことを思い出していました。心のどこかに、無念さが残っていたのかも知れません。


そうして、三日後にウィーンへ発ったわけですが、宿泊したホテルの部屋には、ブルゲンラントという名の赤ワインが置いてありました。

ヴィレロイがドイツのメーカーであることからもドイツの地方だとばかり思っていたのですが、実は、ハンガリーと隣接する部分にあたる、オーストリアの州のひとつだったのですね。(1043年から1920年までハンガリー王国の西端の地域、1921年からがオーストリア領)



さて、そのブルゲンラントの首都アイゼンシュタットは、ハンガリーの大貴族エステルハージー家の領地で、宮殿や館が5つも残っているそうです。そして、その宮廷音楽家として30年仕えたのがハイドン。ハイドン・ホール、ハイドン教会、ハイドン・ハウスなどなど、ハイドン満載です。

実は、このブルゲンラントでは歴史的な事件も起きています。あのベルリンの壁崩壊へとつながる汎ヨーロッパ・ピクニックという事件です。

1000人近くもの東ドイツ市民がハンガリーのショプロンという町からブルゲンラントを通って西側へ逃亡したのです。それゆえ、この食器はドイツ国民に広く愛されるようになった・・これはわたしの想像ですが。ちなみに、ショプロンは音楽家リストの出身地でもあります。なんだか文化の薫高い地方ですね。



エステルハージ―
ところで、このブルゲンラントのエステルハージー家の名は、ハンガリーのお菓子にもつけられているのだそうです。もとはアーモンドケーキと呼ばれていたのが、あまりの美味しさにエステルハージー公がその作り方を門外不出としたため、その名がついたのだとか。ハンガリーの当時のお菓子文化の高さがうかがえます。

そんなに有名なお菓子ならきっと東京でも食べられるはず、と調べてみると、ありました。あのウィーンでたまたま入ったカフェ・ラントマンの支店があるのと同じ青山のビルに!150年の歴史のあるハンガリーのカフェ、ジェルボーがそれです。


ジェルボー・トルタ
このチョコレート・ケーキはジェルボー・トルタ。

当時ハンガリーでたいへんな人気を博し、それがウィーンのシェンブルン宮殿にも伝わり、料理人ザッハーが真似て作ったのがザッハー・トルテというわけ。

そもそもザッハーでもデメルでもない、ハンガリーが本家本元だったわけですね。




ドボシュ・トルタ

そして、こちらはドボシュ・トルタ。エリザベート王妃も絶賛のジェルボーの代表作。

ブルゲンラントの食器が行き着いた先はお菓子だったわけですが、とにかく、一度ハンガリーのお菓子も味わってみたいので、スイーツ・バイキングに誘おうと友だちにこの話をしてみたところ、


「アイゼンシュタットなら、20代の頃、ひとりでウィーンからバスに乗って行ったことあるわよ。ケーキを食べに・・」という返事。



彼女は30年もわたしの先を行っていたのでした。








2016年9月12日

ウィーンの旅 ③  Vienna 








最終日もお天気に恵まれ、朝からさっそく町へと繰り出しました。ミュージアム・クオーターは残念ながらまだ閉まっていたので、自然史博物館を見学することに。1876年設立なので歴史を感じますが、その収蔵数が3000万点というのは凄い!生物だけでなく化石や鉱物、隕石まで、地球の歴史に関わるものすべてがあるのです。これだけのものを分類・保管できていることじたいが驚きです。この博物館だけで午前中が終わってしまうほどでした。










土産屋をのぞきながら町をブラブラ。たいてい目につくのはモーツアルト・チョコレートかクリムトのグッズ。あり過ぎ(笑)家で留守番の長男にチョコレートを買ってみましたが、よくよく見るとフランス製ではありませんか!地元のメーカーだとばかり思っていました。また青山にもあったりして・・(調査中)・・これは日本にはまだ入っていませんでした。



最後のランチはモーツアルト・カフェで軽くいただきました。わたしはターフェルシュピッツ(ビーフのスープ)にセモリナ粉の団子を入れてもらい、次男が選んだのはフィッシュ&チップス。これがまた最高に美味しかったのだとか!




 


帰りの便は夕方で4時頃まで時間があったのですが、美術館や博物館はもういい、ということで、池のあるシュタッド・パークで寛ぐことにしました。


ここは市民の憩の場のようですが、ここでも例外に漏れずポケモンGOで遊ぶ子どもたちがたくさんいました。



それにしても、空港での待ち時間というのは危険なものですね。デメルがあったので、つい食べ収めにと、プチ・ザッハーといわゆるホイップクリームをのっけたウィンナー・コーヒーをいただいてしまいました。ちなみに、ウィンナーコーヒーという名称は存在しないらしく、これはアインシュペンナーというのかな。エスプレッソがほろ苦くてザッハーにはぴったりです。


 

ウィーンの旅も終わってしまいました。知らない言語の文化を訪ねるのはとても新鮮で、刺激になって良いものですね。来年はどこにしようかと、いまから楽しみです。






















2016年9月11日

ウィーンの旅 ②  Vienna






二日目は雲ひとつない青空が広がり、気温も上がりそうだったので朝のうちにシェーンブルン宮殿へ向かいました。移動は地下鉄です。空港で購入しておいたウィーン・カードは地下鉄やバス、トラムが乗り放題(エアポートCATは割引価格に)。さらに美術館・博物館、飲食店やショッピングでも割引があります。


シェーンブルンはカールスプラッツ広場からU4線一本で簡単に行けますが、地下鉄はよく機能していて、2/3分間隔という便利さなのが嬉しい。






さて、シェーンブルンの宮殿は、部屋の総数が1441室あってそのうちの45室が公開されています。それはそれは優美なロココ調の装飾で、モーツアルトが御前演奏をした「鏡の間」、漆の壁面の「中国の部屋」、「青い陶器の部屋」、「ミリオンの部屋」などなど、豪華絢爛そのものです。




            

見学していて気になったのは部屋の隅に置かれていた白い陶磁器のストーブです。撮影禁止だったので実物の写真はありませんが、左の写真にあるものくらいの大きさで、色は真白です。寸胴ではなくてやはりロココ調のフリフリクネクネな形。こういうストーブを使っているひと、いるんですね・・知らなかった・・そして、この写真のストーブを取扱っているのは、なんとローマのお店だった!またひとつ新たな発見です。

広大なシェーンブルンの庭は、市民も自由に利用できるみたいです。ジョギングするひとやベビーカーで散歩するお母さんなども見かけました。とにかく、花壇も手入れがゆき届いていて、庭木の剪定も(多少歪だったりもするけれど)こまめになされていました。





宮殿見学の後はいよいよお待ちかねのデメル菓子店。ウィーンに行くというとだれもがザッハ-・トルテを試すべきだと言うのですが、ザッハー・トルテは本家本元のザッハーだけではなくデメルにもあるので、ちょっと不思議だなとは思いつつも、「ザッハー・トルテ」という名前がチョコレート・ケーキの代名詞ということなのだろうと思っていました。



デーメルのザッハー・トルテ
ところが、デメルとザッハーとのあいだではこのケーキを巡ってひと悶着あったようです。

もとはといえばフランツ・ザッハーという料理人が生みの親なのですが、その三代目のときにホテル・ザッハーが財政難に陥り、そこに宮廷ご用達のデメル菓子店が「ザッハー・トルテの販売権と引換えに」資金援助をしたという経緯があったのです。その後、ザッハーが再び権利を取り戻そうと裁判に持ち込んだものの、結局、デメルも販売を許可されることに。たかがチョコレート・ケーキ、されどチョコレート・ケーキなのであります。

ちなみに、個人的にはデメルの方があっさりしていて好きです。杏のジャムが上に塗ってあるかあいだに挟んであるかの違いだそうですが。




午後は、クリムトの『接吻』が展示してあるベルヴェデーレ宮殿に行ってみました。が、朝のシェーンブルンが美し過ぎたのか、こちらはもひとつぱっとしなくて、結局『接吻』も別に観なくてもいいや、ということになってしまいました。暑さのせいかも知れません。


クリムトといえば『黄金のアデーレ』という映画がありました。ベルヴェデーレ宮殿に展示されていた(現在はNYにある)「オーストリアのモナリザ」と呼ばれる名画『アデーレ』にまつわる話です。とても素敵な映画でした。





さて、ウィーンといえばプラーターにある大観覧車、映画『第三の男』のラストシーンはあまりにも有名ですが、その音楽も忘れることはできません。

実物は思っていたほど大きくはなく、ゆっくりゆっくり動いていました。観覧車に乗りながらお茶をしたりシャンペンを傾けたりもできるようです。なんだか優雅な娯楽ですね。

















今回ウィーンの旧市街で気づいたことは、BGM的な音楽がどこにもないということでした。街角でモーツアルトのような格好をしてコンサート・チケットを売るひとはよく見かけましたが、カフェなどでヴァイオリンを奏でるひとはまったくいなかった。わたしの妄想でしょうが、ウィーンにはそういうひとがたくさんいると思っていたのです。

出会ったストリート・ミュージシャンはこのひとのみ。ヴァイオリンの腕前は抜群でした。さすが、ウィーン!



一日じゅう歩き回って夕方にはくたびれ果て、地元のひとたちが行きそうな近くの公園で一杯!オーストリアのゲッサービール、とても美味しい!





















2016年9月10日

ウィーンの旅 ①  Vienna







恒例の夏休み終わりの小旅行、今年は学生時代を過ごしたニースを考えていましたが、プロムナード・デ・ザングレであんな惨事が起こって意気消沈。計画を保留にしていたところ、ある日、友だちとの会話でウィーンが話題に上り、「ウィーン?ちょうど良いかもね」ということに。思い立ったら吉日、さっそくホテルと飛行機の手配をしました。そして、にわか仕込でドイツ語も(笑)


ローマからはほんの一時間半という近さ。朝早めに出ればお昼前には市街に到着、さっそく観光ができます。その日のローマは30度を越える夏日だったのですが、ウィーンは小雨の13度。震えながら地図を片手に町に繰り出しました。まずはウィーン名物のシュニッツェルで腹ごしらえです。


シュテファン大聖堂



雨の日は美術館・博物館巡りが相場、というわけで美術史博物館に足を運びました。常設の絵画ほか、ブリューゲルとルーベンスの作品がたっぷりと鑑賞できました。


ウィーンではカフェ・ハウス巡りも欠かせません。行ってみたいカフェのひとつだったのがラントマン・カフェ(青山の店には入ったことがないくせに)。文化財に指定されていて、フロイト、ヒラリー・クリントン、ポール・マッカートニーなどなど、多くの著名人が訪れたそうです。

ブエノス・アイレスもカフェ文化が発達していますが、パリというよりむしろウィーンの影響なのかも・・。










ウィーンといえばオペラ座。その日のオペラは『カルメン』でしたが、チケットはほぼ完売。でも、夏のあいだは屋外の大画面でも鑑賞でき(客席も設置されている)、夜風にあたりながらのオペラもおつなものかも知れません。




 さて、晩ご飯ですが、オペラ座の近くにある老舗のレストラン、ガストハウス・ツァ・オーパーでターフェルシュピッツというビーフスープをいただきました。寒い一日の終わりに鍋料理は温まります。




これまでの人生でフランス、イタリア、アルゼンチンなどラテンの国々にはご縁がありましたが、ドイツ語圏はさっぱり。もちろんオーストリアもはじめてです。オーストリアのひとと接するのもおそらくはじめて。とにかく、大声で話すひとはまずいないし、セカセカしていなくて穏やか。クールというのともちょっと違うし・・。もちろんウィーンだけを見てオーストリアを語れないとは思いますが。

そして、街はゴミや吸殻のポイ捨てもなく、いたって清潔。瀟洒な街並みはパリかブエノス・アイレスを彷彿とさせ、とても綺麗。公共の交通機関であるトラムや地下鉄もよく機能しているし、なんだかとても暮らしやすそう。

短期ドイツ語留学でもしてみたい気分です(笑)