2016年9月18日

ブルゲンラントの食器は語る  Sentiamo ciò che ci raccontano i piatti di Burgenland








このヴィレロイ・ボッホの食器に出会ったのは、ウィーンに行く三日ほど前でした。なぜこれが目に留まったかというと、同じ絵柄のお皿が夫の生家にあったからです。亡き義母が大切にしていたものなのでしょう。


裏にはブルゲンラントと記してあります。いつ製造されたものかはわかりませんが、おそらく前世紀の中ごろではないかと。

図柄はそれぞれ違っていて、緑豊な湖畔の情景が美しい。 

わたしは、これを衝動買いしてしまうわけですが、それにはもうひとつ理由がありました。

以前ハワイでヴィレロイ・ボッホの食器をひと揃え購入し、空輸で送って無事に届いたものの、一度も使わないうちに阪神大震災でみごとに全壊してしまったのです。そして、つい最近、そのことを思い出していました。心のどこかに、無念さが残っていたのかも知れません。


そうして、三日後にウィーンへ発ったわけですが、宿泊したホテルの部屋には、ブルゲンラントという名の赤ワインが置いてありました。

ヴィレロイがドイツのメーカーであることからもドイツの地方だとばかり思っていたのですが、実は、ハンガリーと隣接する部分にあたる、オーストリアの州のひとつだったのですね。(1043年から1920年までハンガリー王国の西端の地域、1921年からがオーストリア領)



さて、そのブルゲンラントの首都アイゼンシュタットは、ハンガリーの大貴族エステルハージー家の領地で、宮殿や館が5つも残っているそうです。そして、その宮廷音楽家として30年仕えたのがハイドン。ハイドン・ホール、ハイドン教会、ハイドン・ハウスなどなど、ハイドン満載です。

実は、このブルゲンラントでは歴史的な事件も起きています。あのベルリンの壁崩壊へとつながる汎ヨーロッパ・ピクニックという事件です。

1000人近くもの東ドイツ市民がハンガリーのショプロンという町からブルゲンラントを通って西側へ逃亡したのです。それゆえ、この食器はドイツ国民に広く愛されるようになった・・これはわたしの想像ですが。ちなみに、ショプロンは音楽家リストの出身地でもあります。なんだか文化の薫高い地方ですね。



エステルハージ―
ところで、このブルゲンラントのエステルハージー家の名は、ハンガリーのお菓子にもつけられているのだそうです。もとはアーモンドケーキと呼ばれていたのが、あまりの美味しさにエステルハージー公がその作り方を門外不出としたため、その名がついたのだとか。ハンガリーの当時のお菓子文化の高さがうかがえます。

そんなに有名なお菓子ならきっと東京でも食べられるはず、と調べてみると、ありました。あのウィーンでたまたま入ったカフェ・ラントマンの支店があるのと同じ青山のビルに!150年の歴史のあるハンガリーのカフェ、ジェルボーがそれです。


ジェルボー・トルタ
このチョコレート・ケーキはジェルボー・トルタ。

当時ハンガリーでたいへんな人気を博し、それがウィーンのシェンブルン宮殿にも伝わり、料理人ザッハーが真似て作ったのがザッハー・トルテというわけ。

そもそもザッハーでもデメルでもない、ハンガリーが本家本元だったわけですね。




ドボシュ・トルタ

そして、こちらはドボシュ・トルタ。エリザベート王妃も絶賛のジェルボーの代表作。

ブルゲンラントの食器が行き着いた先はお菓子だったわけですが、とにかく、一度ハンガリーのお菓子も味わってみたいので、スイーツ・バイキングに誘おうと友だちにこの話をしてみたところ、


「アイゼンシュタットなら、20代の頃、ひとりでウィーンからバスに乗って行ったことあるわよ。ケーキを食べに・・」という返事。



彼女は30年もわたしの先を行っていたのでした。








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