2025年9月9日

プロチダ島へ日帰りでプチ・クルーズ

 



カンパーニャ州最北端の山の家から日帰りで行ける島といえば、ポンツァ、ヴェントテネ、イスキア、カプリ、プロチダなどがあげられる。カプリ、イスキアは観光客で混雑が容易に想像され、逆にヴェントテネは遥々行くには見るものがなさすぎっぽい、というわけでポンツァかプロチダのどちらかを選ぶことになった。

家から車で45分ほどのフォルミア港からフェリーで2時間かかるポンツァか、1時間ちょっとのポッツオーリ港から30分のプロチダか。迷いもせずプロチダに軍配があがった。というのも、プロチダに行く方が時間的にも効率は良いのだが、もともとポッツオーリのあるカンピ・フレグレイ地域はローマ時代の富裕層のリゾート地で歴史的な魅力が満載、フェリーからその地を愛でながらプロチダ島に渡れるなんてまるで夢みたい!なのだ。

車でポッツオーリまで1時間ちょっと。ここはソルファターラの硫黄火山でも知られていてローマ時代のテルメや円形闘技場の遺跡もある。

小型フェリー(イッポカンポ)はバイア(古代ローマ海底都市がある)、ミセーノ軍港、裏側にはクーマがあることも想像しながら、プロチダ島へと進む。



プロチダ島はイスキアの手前にある小さな島で1日もあれば観光できる。

映画『ポスティーノ』を撮影した海岸や、カラフルなお伽の国のようなコリチェッラ港、山頂の中世要塞都市などが観光スポット。徒歩で山頂の展望台まで登ってコリチェッラ港を見下ろし、そこから島の反対側の海岸まではミニバスを利用する。島の一方通行にもなっていない狭い小路を対向車と阿吽の呼吸でうまくすれ違いながらミニバスは走る。カプリやイスキアほどまだ観光化されておらず地元のひとびとの生活風景がそこここに目立つ。




あっというまにフェリーの港マリーナ・グランデに戻ってきた。漁船から荷下ろしした魚を魚屋に運ぶ漁師たちを眺めながら、そのあいだに立ち並ぶレストランで魚介づくしのランチにありつく。バイアで養殖されているムール貝の美味しいこと!生臭さもなく小ぶりでプルプルの舌触り!新鮮な魚が安く手に入るジモティが羨ましい。

















食後はまったりと港で過ごし、午後いちばんのフェリー(といっても5時近く)でポッツオーリに戻った。

港のすぐ近くにあるマケルム・セラピス神殿を目の前にずらりとテラス席を並べるレストラン、弱めのライトアップで神秘的な雰囲気を漂わせながらのアペリティフ、次回はここもぜひとも!





ソンマ・ヴェスヴィアーナのヴィラ・アウグステア遺跡(東京大学発掘現場)

 


この夏の最大のイベント!東京大学の20年に渡る発掘現場であるヴェスヴィオ山麓の町ソンマ・ヴェスヴィアーナにあるヴィラ・アウグステア遺跡見学会に参加させていただいた。

発掘責任者の東京大学の教授2名、在伊日本大使館から3名、そして数名の遺跡愛好家を募っての見学会、イタリアではフェラゴストという聖母マリア昇天祭の週で夏真っ盛りだった。

折しもその数日前にヴェスヴィオで火災が発生し、見学がキャンセルにならないか心配だったが、ソンマは山火事の被災地から離れていたので決行となった。

ヴェスヴィオ山麓からひょんなことから発見されたこの遺跡、発掘当初は神殿のようなものと思われていたのが、その後作業が進むにつれ紀元後2世紀半ばの農業関連施設であることがわかってきたのだとか。さらに東京大学が発掘を継続したところ、その下に紀元1世紀前半の建物の一部が見つかり、かのローマ初代皇帝アウグストゥスが亡くなった別荘ではないかとのニュースが世界中を駆け巡ったのは記憶に新しい。

古代の歴史家たちによればヴェスヴィオ山麓ノーラ周辺にあったと記されているのだが、これがその別荘だと確証できる発掘物(文字や印など)はまだ出てきていない。しかしながら規模的にも高貴な身分の人物の別荘であったと考えられ、さらなる調査が期待される。

















見学グループでの親睦会ランチは現場近くのレストランで。周りはぶどう畑や果樹園ばかり。そんなところにオアシスのようにあったこのレストラン、スペシャリティのバカラ料理と地元のペコリーノ・チーズ、パルミジャーノ(人生で最高だった!)、デザートも申し分ないレベルの高さ。

















2025年9月8日

鋳物造りの町アニョーネ(モリ―セ州)

 

モリーゼ州にある標高850mの町アニョーネは2千5百年前から鋳物造りが連綿と続いており、なかでも8世紀に渡って途絶えることがなかったマリネッリ家は世界で最も古い家内工業、ヴァチカンに鐘を奉納していることで知られている。

今年は25年に一度の聖年(ジュビレオ)であり、その記念の鐘や大阪万博記念の鐘も製造された。

正午を知らせる鐘の音の響きはモリーゼの山脈を越えて近隣の町にも届いているようだ。











クルミやアーモンド、チョコレートを挟んだオスティア、古代から伝わるパネットーネ、鐘の形のお菓子など伝統菓子もたくさんあり、小さな町とはいえ歴史文化の豊かさを感じさせる。




お昼はマリネッリのご主人お勧めの郊外のアグリツーリズモへ。そこはすでにアブルッツオ州、数種類の温冷前菜とニョッキ、子羊のグリル、ポテト、半分以上食べきれずにお持ち帰りに包んでもらった。地産の貴重な食材を無駄にするなどもっての外、というわけで。







山の家から片道100kmあったけれどパノラミックで大自然を満喫しながらのドライブは快適。


炎天下のエルコラーノ遺跡とオプロンティス遺跡



毎年夏になると楽しみな遺跡訪問。この夏の第一弾は紀元79年のヴェスヴィオ噴火で埋もれたエルコラーノ遺跡とオプロンティス遺跡のポッペア荘。夏のあいだ過ごす山の家から車で1時間半ほどの距離なので日帰り圏内だ。高速を下りて密集したエルコラーノの街を海岸方面へと下って行く。

遺跡専用の広い駐車場(有料)が完備されているのだが、そこに辿り着くまでが分かり難く、細い路地を縫ってやっとのことで到着。エントランスは新しくモダンな造りで冷房設備も整っていて快適だが、そこを出ると陽射しは厳しく、そのなかを2千年前の遺構へと架け橋を渡って下りて行く。



エルコラーノ遺跡は火山灰の泥流埋もれたので焼けずに残った木造の建築だったり2階部分だったり、船置場の遺骸(300体)やローマ時代の船など、保存状態の良い発掘が見られるのが特徴的。ポンペイのような広大な敷地ではないので短時間で回れるという利点もあるけれどやはりじっくり見るには3時間ほど要した(とにかく暑くて汗だく)。当時の富裕層の邸宅の集まる高級リゾートであったことが容易に想像させられた。








昼食は正面口を出たところにあるお店でコイワシとバカラ(タラ)のフライ、暑すぎて食欲減退なのに、なぜか揚げ物はうけ付ける(笑)




午後は車でさらに20分ほど南下してオプロンティス遺跡のポッペア荘へ移動。かのローマ皇帝ネロの2番目の奥さんポッペアの実家ということだけど、贅沢な暮らしでも有名な女性(山羊の乳の風呂の入っていたとか)

庭には大きなプールがあり、屋敷の天井は高くて色鮮やかなフレスコ画がめいっぱいに描かれている。どれだけ煌びやかで豪華な生活だったかがうかがわれる。




2025年5月24日

母、92歳のギリシャ・トルコ、クルーズの旅 ⑤ 最終日はナポリ

 




再びまる一日の航海の後、ナポリ港に到着。生憎の曇天でカプリやイスキアが煙って見える。下船してそれぞれ地下鉄やタクシーで街中に繰り出していたが、わたしと母は船上でのんびりすることにした。

船からのナポリの眺めはやはり美しく、幾重にも歴史が積み重なった街の表情も独特な雰囲気を醸し出している。


ふと下を見下ろすと、海洋都市国家の旗を掲げる船の一部が見えた。よく見るとアメリゴ・ヴェスプッチだった!ナポリに停泊中だったのだ。見学できるようだったけれど上からの眺めも悪くない。その日は海岸線を利用してジーロ・ディタリア(自転車レース)が開催されていたし、モナコ大公アルベルトがポンペイを訪問していたりと、なにかと賑やかなナポリだった。

翌日は下船なので荷造りを始める。深夜までにキャビンのドアの前にスーツケースを出しておくとピックアップしてくれる。朝は7時までにキャビンを空けることになっていて、下船まで朝食をとりながらゆっくり順番を待つ(わたしたちは9時40分)システムになっている。手ぶらで下船できるので、わたしたちにとってはありがたいのだが、3時間も待つのはどうなのか・・。

仲間のひとりがウオーク・アウト(荷物持参で接岸と同時に下船する)にしようと言い出した。大きなスーツケースと車椅子の母、両方押しながら下船はきつい・・・でも、みんなで助け合って行けば大丈夫だからと説き伏せられてしまった。

4000人のカオスから解放されていちばん乗りで下船、港とターミナルをつなぐシャトルバスもちゃんと待機していたのでスムーズに事は運んだ。チヴィタヴェッキアのバス・ターミナルにたったひとつ開いていたバールでコーヒーを飲みながら乗り合いタクシーを待つことになった。

母と一緒のクルーズ旅行は大きなトラブルもなく無事に終わった。仲間がいなければ実現しなかった(考えもしなかった!)こと、寛大なお誘いにひたすら感謝。

そして、母がいたおかげでいろいろな国のひとたちと話しをするきっかけができた。だれもが92歳の日本人女性の「楽しく生きたい」願望を絶賛、暖かく見守ってくれた。

「母をクルーズに連れて行くと約束しながら果たせなかった、あなたのお母さんが一緒に来てくれて本当に嬉しい」とウクライナ人の仲間のひとりが涙ながらに語ってくれた。



母、92歳、ギリシャ・トルコ・クルーズの旅 ④ ミコノス島

 




ミコノス島は当初テンダーボートで渡ることになっていたが、接岸されたので、母と一緒に繰り出すことにした。シー・バスでリトル・ヴェニスや風車のある旧港に移動する。この日、ミコノスは風が強く、気温こそ低くはなかったけれど、小柄の母は吹き飛ばされそうだった。車椅子で細い坂道を上り下り、白い小さな石の建物が青空と紺碧の海によく映える。


カフェで休憩した後、リトル・ヴェニスまで歩く。大型クルーズが二隻停泊しているので、どこもかしこもクルーズ客でいっぱいだ。海の見えるオーガニック・レストランで昼食をとることになった。値段は目が飛び出るほどだったけれど、とても美味しい!サービスも申し分ない。




聖ニコラス教会でウクライナ人の仲間とともに戦争終結をお祈りした。





ここからデロス島へボートが出ている。今度は島全体が世界遺産のデロス島にも寄ってみたい。

ミコノス島から帰った日の午後、わたしがうとうとしている隙に母がキャビンを出て行ってしまった。長い廊下の左右を見てもいない、反対側の廊下にもいない。さっそく仲間に連絡してレセプションに駆け降りる。階段で転びでもしたら大変なことになるからだ。

スタッフに説明すると、「杖をつきながら元気に歩いているひとですね。よーく知ってますよ」すぐに他のクルーに連絡、数分もたたないうちにクルーのひとりがレセプションまで母を連れて来てくれた。笑いながら現れた母はまるでいたずらっ子のようだった。迷子の世話など日常茶飯事なのだろう、クルーの連携プレーは素晴らしかった。