さて、3日目は今回の難関エフェソスだ。乗客のほとんどがエクスカーションを予約していて、寄港地のクシャダシ港にはすでに20台ほどバスが並んでいる。
真夏だったら熱中症になりかねないような気候、帽子と水筒は必携、ときどき遺跡の石の上に座って休みながら少しずつ前進した。
ようやくケルソスの図書館(世界三大図書館のひとつ、エジプトのアレクサンドリア、トルコのペルガモンに次ぐ)の前の平坦な広場にたどり着く。
エフェソスは初期キリスト教の重要な場所でパオロがこのアンフィテアトロで布教のための演説を行ったことは有名だ(そのアンフィテアトロは先ごろの地震で部分的に崩壊、前のメーンロードも封鎖されていた)。
ローマ時代ドミティアヌス帝によってパトモス島に追放され黙示録を書いたヨハネ、それがエフェソスのヨハネなのか使徒ヨハネなのか諸説ありとのこと。いずれにせよ、初代教会のひとつ(ペルガマ、スミルナ、エフェソス、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオディキア)エフェソスは信徒のコミュニティも大きく使徒ヨハネとともに聖母マリアがエルサレムから移り住んだという伝説は本当なのかも知れない。
キリスト者でもない母が92歳にしてエフェソスに来たのはなにか意味があったのではないかというひとがいた。あの道は苦難の道というわけでもなかったけれど、アゴラの木造の渡しを車椅子はなかなか進んでくれない。そこに手を差し伸べて道の終わりまで押してくれた南米の若者の親切に心から感謝した。歩いているあいだも無言で手を貸してくれたひとたちは少なくなかったのだ。
忘れられない場面というのが旅には必ずひとつやふたつはある。今回はエフェソスの遺跡の入口での一瞬のことだった。車椅子を持って母を入場させるとき、片手でひょいと車椅子を持ち上げて助けてくれた女性がいた。「Grazie」とお礼を言ったけれど返事はない。帰りのバスのなか、4人のイタリア人女性グループと隣り合わせになった。みんな空手の習得者で、車椅子片手でひょいの彼女は段保持者!そのうちのひとりはご主人がホンダにお勤めで、日本文化は多少なりともご縁があるようす。その後も船のなかで何度かすれ違い、車椅子ひょいの彼女はエアロビクスや踊りに興じる母のところに駆け寄り、一緒に踊っていた。介護の仕事をしているのだという。車椅子片手でひょい、は、彼女にとってはお礼など言われる筋合いのない、当たり前の日常だったのだ。
バスの車窓から遠くの山の上に見えたのは聖母マリアの家とされる建物。山の家の我が家の台所からの眺めによく似ていたので驚いた。そこには聖母マリア像が奉られているのだ!









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