イタリアまでのフライトは12時間ほど。高齢の母に果たして堪えられるだろうか?ところが、だれよりもよく食べ、よく寝、疲れたようすもない母は、「なんだか夢を見ているみたい」と、空の旅を楽しんでいるようだった。
数日後、旅の疲れがおさまったところで、いよいよ移民局へ行くことになった。渋滞が見込まれる環状線からアクセスするため、早朝7時に車で家を出る。移民局の入口にはすでに多くの外国人が並んでいた。車椅子の高齢者ということで優先的に窓口へと案内され、1番の番号札をもらう。「書類は揃っているので、すぐに手続きさせてもらえるはず」という期待は大きく外れ、今回は提出書類の説明と予約のみ、予定日は年を越した1月半ばとのこと。母の観光ビザの期限が3ヶ月、もしその時点で不備があれば、母は強制退去させられることになる。こうしてひとつめの問題が浮上した。
そして、驚くべきは、ここに至ってはじめて提出書類が判明したということ。法律事務所や移民関連情報サイトではわかりようのないシロモノだった。日本の戸籍の原本などは一切必要なく、イタリア当局が発行するわたしの家族証明と出生証明だ。そのとき、なぜか、「出生証明には時間がかかるかも知れないので早めに入手するように」と念を押されたのが気になった。
市役所では、家族証明はすぐに発行されたが、出生証明の方は、担当窓口のパソコン画面に黄色い⚠マークが出てきてしまう。「ここでは発行できないので国籍取得の手続きをしたところに問い合わせてみて」とのこと。さっそく取り寄せた出生証明は、登記ナンバーのない、生年月日と出生地のみが記載された明らかにその場で作成した証明書、もちろん両親の名前など書かれてはいなかった。
いくら問い合わせても「これしかない」の一点張りで、跳ね返されてしまった。ここにふたつめの問題が浮上。
母子関係の証明ならば、アポスティーユ認証と領事館認定の法定翻訳つきの日本の戸籍も法的に有効なので問題ないはず、いったいわたしのイタリアでの出生証明はどこにあるのか、どうなっているのか・・。もう後には戻れない、背水の陣。
でも、ここはイタリア、やはり持つべきものは友である。その助けを借りて11月末には晴れて滞在許可証を取得することができた。
ところで、その「出生証明」、まだ終わっていなかった。
師走のクリスマスどき、スーパーの駐車場でバッグを盗まれてしまった。クリスマス前は彼らにとってもかき入れどきなのは十分わかっていたのに。2019年ずっと張りつめていた緊張がふと解れた隙をつかれたようだった。
盗まれた身分証明書の再発行手続きは市役所が行う。そこで、またもや担当窓口のパソコンに⚠マークが!身分証明書の発行にも「出生証明」が不可欠なのだった。ぜひローマの中央登記所に問い合わせてみるようにと促され、翌日さっそくカンピドリオの役所に出向いてみた。(しかしながら、盗まれた身分証明書は「出生証明」なしで発行されいたわけで、どこかで規準が変わったのか、はたまた片手落ちの発行だったのか?)
カンピドリオといえばローマ時代のマツリゴトの中心、古代遺跡の建物は市庁舎として現役で活躍している。中央登記所はその近くの古い建物のなかにあり、その構造は複雑で迷路のよう。あてずっぽうに部屋をノックしてみると、まあまあどうぞと通され、ゆっくりと話しを聞いてくれ、丁寧にアドバイスされるとともに訪ねるべき責任者の名前も教えてくれた。
斯くして、その責任者のオフィスに赴き事情を説明すると、「すぐに調べましょう」と快く担当者のところに案内された。
いかにも真面目でできるひとっぽいその担当者によれば、「出生証明というのはイタリア国内のどこの役所でも検索できるので、ローマの市役所で見つからないなら存在していない、つまり、国籍取得のときに日本の戸籍から写されていない可能性が高い」とのこと。
「ローマに転入したときに転記漏れがあったのではないか?」と尋ねると、「そんなこと、このローマで起こりうるわけがない!」と、ほぼ憤りの形相。
だとしたら、1996年から2020年の今日に至るまで、ざっと24年に渡って出生証明は存在しなかったことになる。これは、知らぬ存ぜぬでは済まされない登録役場の業務ミスであり、怠慢と言われても仕方がない。さっそく役場に電話で問い合わせることになった。案の定、悪い予感はあたってしまった。
こんなこともあろうかと、婚姻届けから国籍取得、有効な日本の戸籍の原本まで、必要と思われる書類すべてを持参していたので、その場で申請手続きとあいなった。「24年前のイタリア(しかも地方の役場)ではありうることだった」と遺憾の念を露わにした責任者。
その責任者のフェリーチェ氏(幸福という意味)から登記完了の電話があったのは、その一週間後、かなり責任を感じておられたようだ。
それにしても、このカンピドリオの中央登記所にはどこか異次元っぽい空気が漂っていた。そのむかし、ローマは、外国人に市民権を与えて大きくなっていったわけだが、古代の「移民歓迎の刻印」はいまも消えていないのかも知れない。申請窓口では、「フェリーチェ氏は登記の仕事に喜びを感じているんだよ」と、冗談まじりの言葉が囁かれた。
こうして、身分証明書も再発行されて、めでたしめでたし。もし盗難に遭っていなかったら未解決のままだったに違いない。まさに「災い転じて福となす」。泥棒に対する怒りも感謝の念に変わりつつあった。