モリーゼ州にある標高850mの町アニョーネは2千5百年前から鋳物造りが連綿と続いており、なかでも8世紀に渡って途絶えることがなかったマリネッリ家は世界で最も古い家内工業、ヴァチカンに鐘を奉納していることで知られている。
今年は25年に一度の聖年(ジュビレオ)であり、その記念の鐘や大阪万博記念の鐘も製造された。
正午を知らせる鐘の音の響きはモリーゼの山脈を越えて近隣の町にも届いているようだ。
モリーゼ州にある標高850mの町アニョーネは2千5百年前から鋳物造りが連綿と続いており、なかでも8世紀に渡って途絶えることがなかったマリネッリ家は世界で最も古い家内工業、ヴァチカンに鐘を奉納していることで知られている。
今年は25年に一度の聖年(ジュビレオ)であり、その記念の鐘や大阪万博記念の鐘も製造された。
正午を知らせる鐘の音の響きはモリーゼの山脈を越えて近隣の町にも届いているようだ。
毎年夏になると楽しみな遺跡訪問。この夏の第一弾は紀元79年のヴェスヴィオ噴火で埋もれたエルコラーノ遺跡とオプロンティス遺跡のポッペア荘。夏のあいだ過ごす山の家から車で1時間半ほどの距離なので日帰り圏内だ。高速を下りて密集したエルコラーノの街を海岸方面へと下って行く。
遺跡専用の広い駐車場(有料)が完備されているのだが、そこに辿り着くまでが分かり難く、細い路地を縫ってやっとのことで到着。エントランスは新しくモダンな造りで冷房設備も整っていて快適だが、そこを出ると陽射しは厳しく、そのなかを2千年前の遺構へと架け橋を渡って下りて行く。
エルコラーノ遺跡は火山灰の泥流埋もれたので焼けずに残った木造の建築だったり2階部分だったり、船置場の遺骸(300体)やローマ時代の船など、保存状態の良い発掘が見られるのが特徴的。ポンペイのような広大な敷地ではないので短時間で回れるという利点もあるけれどやはりじっくり見るには3時間ほど要した(とにかく暑くて汗だく)。当時の富裕層の邸宅の集まる高級リゾートであったことが容易に想像させられた。

昼食は正面口を出たところにあるお店でコイワシとバカラ(タラ)のフライ、暑すぎて食欲減退なのに、なぜか揚げ物はうけ付ける(笑)
午後は車でさらに20分ほど南下してオプロンティス遺跡のポッペア荘へ移動。かのローマ皇帝ネロの2番目の奥さんポッペアの実家ということだけど、贅沢な暮らしでも有名な女性(山羊の乳の風呂の入っていたとか)
庭には大きなプールがあり、屋敷の天井は高くて色鮮やかなフレスコ画がめいっぱいに描かれている。どれだけ煌びやかで豪華な生活だったかがうかがわれる。
再びまる一日の航海の後、ナポリ港に到着。生憎の曇天でカプリやイスキアが煙って見える。下船してそれぞれ地下鉄やタクシーで街中に繰り出していたが、わたしと母は船上でのんびりすることにした。
船からのナポリの眺めはやはり美しく、幾重にも歴史が積み重なった街の表情も独特な雰囲気を醸し出している。
ふと下を見下ろすと、海洋都市国家の旗を掲げる船の一部が見えた。よく見るとアメリゴ・ヴェスプッチだった!ナポリに停泊中だったのだ。見学できるようだったけれど上からの眺めも悪くない。その日は海岸線を利用してジーロ・ディタリア(自転車レース)が開催されていたし、モナコ大公アルベルトがポンペイを訪問していたりと、なにかと賑やかなナポリだった。
翌日は下船なので荷造りを始める。深夜までにキャビンのドアの前にスーツケースを出しておくとピックアップしてくれる。朝は7時までにキャビンを空けることになっていて、下船まで朝食をとりながらゆっくり順番を待つ(わたしたちは9時40分)システムになっている。手ぶらで下船できるので、わたしたちにとってはありがたいのだが、3時間も待つのはどうなのか・・。
仲間のひとりがウオーク・アウト(荷物持参で接岸と同時に下船する)にしようと言い出した。大きなスーツケースと車椅子の母、両方押しながら下船はきつい・・・でも、みんなで助け合って行けば大丈夫だからと説き伏せられてしまった。
4000人のカオスから解放されていちばん乗りで下船、港とターミナルをつなぐシャトルバスもちゃんと待機していたのでスムーズに事は運んだ。チヴィタヴェッキアのバス・ターミナルにたったひとつ開いていたバールでコーヒーを飲みながら乗り合いタクシーを待つことになった。
母と一緒のクルーズ旅行は大きなトラブルもなく無事に終わった。仲間がいなければ実現しなかった(考えもしなかった!)こと、寛大なお誘いにひたすら感謝。
そして、母がいたおかげでいろいろな国のひとたちと話しをするきっかけができた。だれもが92歳の日本人女性の「楽しく生きたい」願望を絶賛、暖かく見守ってくれた。
「母をクルーズに連れて行くと約束しながら果たせなかった、あなたのお母さんが一緒に来てくれて本当に嬉しい」とウクライナ人の仲間のひとりが涙ながらに語ってくれた。
ミコノス島は当初テンダーボートで渡ることになっていたが、接岸されたので、母と一緒に繰り出すことにした。シー・バスでリトル・ヴェニスや風車のある旧港に移動する。この日、ミコノスは風が強く、気温こそ低くはなかったけれど、小柄の母は吹き飛ばされそうだった。車椅子で細い坂道を上り下り、白い小さな石の建物が青空と紺碧の海によく映える。
カフェで休憩した後、リトル・ヴェニスまで歩く。大型クルーズが二隻停泊しているので、どこもかしこもクルーズ客でいっぱいだ。海の見えるオーガニック・レストランで昼食をとることになった。値段は目が飛び出るほどだったけれど、とても美味しい!サービスも申し分ない。
ここからデロス島へボートが出ている。今度は島全体が世界遺産のデロス島にも寄ってみたい。
ミコノス島から帰った日の午後、わたしがうとうとしている隙に母がキャビンを出て行ってしまった。長い廊下の左右を見てもいない、反対側の廊下にもいない。さっそく仲間に連絡してレセプションに駆け降りる。階段で転びでもしたら大変なことになるからだ。スタッフに説明すると、「杖をつきながら元気に歩いているひとですね。よーく知ってますよ」すぐに他のクルーに連絡、数分もたたないうちにクルーのひとりがレセプションまで母を連れて来てくれた。笑いながら現れた母はまるでいたずらっ子のようだった。迷子の世話など日常茶飯事なのだろう、クルーの連携プレーは素晴らしかった。
さて、3日目は今回の難関エフェソスだ。乗客のほとんどがエクスカーションを予約していて、寄港地のクシャダシ港にはすでに20台ほどバスが並んでいる。
真夏だったら熱中症になりかねないような気候、帽子と水筒は必携、ときどき遺跡の石の上に座って休みながら少しずつ前進した。
ようやくケルソスの図書館(世界三大図書館のひとつ、エジプトのアレクサンドリア、トルコのペルガモンに次ぐ)の前の平坦な広場にたどり着く。
エフェソスは初期キリスト教の重要な場所でパオロがこのアンフィテアトロで布教のための演説を行ったことは有名だ(そのアンフィテアトロは先ごろの地震で部分的に崩壊、前のメーンロードも封鎖されていた)。
ローマ時代ドミティアヌス帝によってパトモス島に追放され黙示録を書いたヨハネ、それがエフェソスのヨハネなのか使徒ヨハネなのか諸説ありとのこと。いずれにせよ、初代教会のひとつ(ペルガマ、スミルナ、エフェソス、ティアティラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオディキア)エフェソスは信徒のコミュニティも大きく使徒ヨハネとともに聖母マリアがエルサレムから移り住んだという伝説は本当なのかも知れない。
キリスト者でもない母が92歳にしてエフェソスに来たのはなにか意味があったのではないかというひとがいた。あの道は苦難の道というわけでもなかったけれど、アゴラの木造の渡しを車椅子はなかなか進んでくれない。そこに手を差し伸べて道の終わりまで押してくれた南米の若者の親切に心から感謝した。歩いているあいだも無言で手を貸してくれたひとたちは少なくなかったのだ。
忘れられない場面というのが旅には必ずひとつやふたつはある。今回はエフェソスの遺跡の入口での一瞬のことだった。車椅子を持って母を入場させるとき、片手でひょいと車椅子を持ち上げて助けてくれた女性がいた。「Grazie」とお礼を言ったけれど返事はない。帰りのバスのなか、4人のイタリア人女性グループと隣り合わせになった。みんな空手の習得者で、車椅子片手でひょいの彼女は段保持者!そのうちのひとりはご主人がホンダにお勤めで、日本文化は多少なりともご縁があるようす。その後も船のなかで何度かすれ違い、車椅子ひょいの彼女はエアロビクスや踊りに興じる母のところに駆け寄り、一緒に踊っていた。介護の仕事をしているのだという。車椅子片手でひょい、は、彼女にとってはお礼など言われる筋合いのない、当たり前の日常だったのだ。
バスの車窓から遠くの山の上に見えたのは聖母マリアの家とされる建物。山の家の我が家の台所からの眺めによく似ていたので驚いた。そこには聖母マリア像が奉られているのだ!
2日目はまる一日航海、朝、目が覚めてカーテンを開けると、目の前にストロンボリが!圧倒的な存在感のこの火山島、イングリッド・バークマンの映画を思い出す。ここを通り過ぎるとメッシーナ海峡はもうすぐ。前回のクルーズではメッシーナに上陸、本場のカノッリを味わい丘の上まで歩いてメッシーナ海峡を眺めたけれど、今回はメッシーナには停泊しない。
翌日の朝サントリーニ島に到着する。
2月の地震のためロープウェーは封鎖、どの港から上陸できるかわからず、前日になってようやく移送用テンダーボートのタイム・スケジュールの案内および整理券の配布となった。4000人が下船するとなれば混雑は免れない、ゆっくりしか歩けない母には無理だとサントリーニはあきらめていた。でも、母は行く気満々、午後のボートに乗るはずだった人もすべて上陸してしまって、もしかしたら空きができたかも・・・クルーに問い合わせると整理券もいらないので4時に直接下船場に降りるようにとのこと。
同じボートに乗るメキシコ人のグループがとても親切で、母の乗船を手伝ってくれた。車椅子でも拒否されることはなく、もちろん高齢の母にもみんなが手を貸してくれてありがたい。
サントリーニ島に上陸すると断崖絶壁のヘアピンカーブを大型バスのピストン輸送でフィラという町まで連れて行ってくれる。そこからは各自、自由行動。街の中心まで坂道だったので杖をつきながら母はしんどかったけれどなんとかクリアした。広場で休憩してお土産を買っただけのサントリーニ島だったけれど、その神々しさは筆舌に尽くしがたく、ほんの少しでも足を踏み入れられたことに感動を覚えた。
その夜、9時の夕食までビュッフェで寛いでいると、目の前のサントリーニ島の上に満月が昇り、あたりが神秘的な美しさに包まれた。
この二日後、サントリーニ島とクレタ島のあいだで大きな地震が起こった。